雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

明日のWebジャーナリズムと報道規制

昔から官憲だって新聞だって嘘はつくし、時代の流れに押し流されますよ。それが現実。湾岸戦争の時の油まみれの鳥とか思い返せばいい。Webで行われていることは、今だって十分に制限されているよ。プロ責法とか損害賠償責任を通じて。たぶん、これから縛りはもっと厳しくなるだろう。飴と鞭で、ね。

メディアによる捏造と、Webによる濡れ衣の可能性。何を信用すればよいのか。現実とフィクションの狭間にあるウェブの世界は現実との接点が増えるにつれ、変貌した姿を見せていく。ウェブによって現実が捻じ曲げられることへ対する怖れはウェブの個人メディア化への否定的な感情に繋がっていく。ウェブで行われるべきものは制限されていく?そんな未来も十分に考えられる。

みんなも知ってると思う今日の秋葉原の事件をUstreamを使って映像配信してた。
身内だけで見てたけど2chに張られたらしく視聴者が2000人を超えた当りでサーバーとマシンの負荷の限界が来て配信終了。
実際、すぐ隣で蘇生術ほどこされてる重傷の人とか、止血ようの布とか散らばってて生々しかった。
これはただの報道ごっこであり、そんなの撮るんじゃない。不謹慎だ。とか思われるだろうし、警官の人にも「人の不幸を撮って楽しいか?」とか言われました。

あからさまに嘘をつくことは難しい。時々起こる愉快犯への対処は、そんなに難しくない。ぶっちゃけ時間が解決してくれる。だからWebのように新聞や雑誌よりもアーカイブ性が高い媒体って、長い目で見ればそこそこ信じられるんじゃないかな。短期的に信じられないことに対しては、規制よりも情報の流れを早くした方が、たぶん効果がある。
規制したがる連中の前提って、情報発信にそこそこ資本がかかる前提なんだよ。資本が必要な場合は、確かに波状攻撃で発禁処分は効く。経営に打撃を与えて、経営者に対する圧力となる。けれども掲示板への書き込みとか、UStreamYoutubeからの削除って、本質的に効果がない。YoutubeUstreamそのものを禁止しても日本が余計にガラパゴス化するだけだ。
だから目的と手段との関係性は、印刷とか放送の時代とは別の前提でゼロから考え直す必要がある。青少年ネット規制法では、その辺のインセンティブ・メカニズムまで十分に議論できなかったけれど、これからでも遅くはない。
ところで、ケータイ4台への着信でポップコーンの弾ける動画の真偽が気になるんだけど、実際どうなんだろう。別に事実だったところで、これでケータイの電磁波が人体に危ないってことにはならないけど、絵的にインパクトはあるよね。どういう経緯で試そうとしたのかとか、きっかけは気になる。ところで自分がケータイを持って間もない頃、通話していると耳のあたりが暖かくなった気がするけど、あれはフラシーボか、本体の熱が伝わったのか、電磁波を感じていたのか。