ネットの時間で子どもを守れる教育を
パソコン時代のITリテラシーとケータイ時代のITリテラシーで決定的に異なるのは、パソコン時代に求められる情報教育がITに慣れ親しみ使えるようにするための教育が求められたのに対し、ケータイ時代に求められるITリテラシーとは先生よりも子どもの方がITに慣れ親しんでいる前提で、子どもたちの逸脱行動をどう防ぐか、が問われている点である。
パソコン時代のITリテラシー1.0は技術・家庭の延長線上だったが、ケータイ時代に求められるITリテラシー2.0って実は道徳・生徒指導の延長線上にある。時代の変化に対して文部科学省が無策でいるところ、発破をかけるべき教育再生懇談会が事業者だけに責任をかぶせて「子どもからケータイを取り上げろ」と権力を振りかざしているのは反動でしかないし、あまりに無責任ではないか。
森総理がイットとか旗振ってた時代のITリテラシーって、例えばパソコンでブラインドタッチできるとか、ワープロ表計算が使えてメールを印刷してもらわなくても読み書きできるとか、自分でソフトウェアをインストールしてネットに繋げるかとか、そういう話だった。Blaster騒動があってWindows Updateできなきゃね、という話もあったけど、これもXP SP2やWindows Vistaでは勝手にやってしまう。ところが気付いたらネットリテラシー、特にケータイのが議論の焦点となっていて、4年おきに見直す教科書じゃ全く時代に追いつかなくなってしまっている。
なぜITを活用するために学ぶべきことが数年単位で激変しているかというと、それは民間事業者が企業努力で学ばなきゃならない定型作業を減らし、簡単にできる機能を増やしてきたからだ。
例えばパソコンでいえばBASICプログラミング能力を不要にし、OSのインストールを不要にし、TCP/IPやブラウザのインストールを不要にし、手動でのアップデートを不要にした。遠からずWiMAX等で勝手にネットに繋がるようになるかも知れない。
ケータイの場合もともとリテラシー不要のところ、それでできることがショートメールから電子メール、i-mode、アプリ、お財布、GPS、フルブラウザと増えた。
子どもたちは教わらなくとも新しいIT技術を学び使いこなしており、躾を施すべき親や教師の目の届かないところまで勝手に進んでしまった。フィルタリングやペアレンタルコントロール等、事業者が児童保護技術の開発展開に努力することはもちろん、学校で教えるべき陳腐化しない原則を絞り込んで、教科書よりも迅速に展開する方法を考える必要がある。例えば、
- ネットでの行動に匿名性はないし、記録はずっと残ると思って、恥ずかしくない使い方をしよう。
- ネットには悪い人もいれば、いい人もいる。追い詰められて孤立する前に、周りに相談しよう。
- ネットには嘘のことも本当のことも書かれている。情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考えよう。
- 電子メールも、パスワードのかかった掲示板も、秘密を守れるとは限らない。
- ネットで罵ったら相手が傷つく。友達同士でも相手の仕草がみえない分、関係をこじらせる場合がある。
といった陳腐化し難い基本的なところを教えつつ、道徳の授業の延長線上で、考え実感させる授業を行う。回答がそれなりに品質管理されたQAサイトで悩みについて相談する勇気がなくても自分で調べる、自分の身を助ける術を覚えさせる。
そういったツールを生徒向け・教員向けに全国展開することで、教科書よりも俊敏に教員の負担をかけず、広範囲に知識を伝播できる仕組みをつくれないだろうか。情報担当教員のいない学校でも、最新の知識に基づいて問題解決できる環境を整えられないだろうか。
それで逸脱行動まで防げる訳ではないが、似たような要領で生徒指導の延長線上でケータイ利用を念頭に置いた生徒の異変の察知や、ネットを活用した最新の犯罪手口に対抗する方法はないだろうか。子どもからケータイを取り上げよという動きは年寄り保守による反動だが、学校とネットとで時の流れが違うことも念頭に置きつつ、ネットの時間で子どもを守れる教育を考えていく必要がある。
すでに子供の情報の中心は携帯電話であるのに、教える主体が「パソコン」であることだ。これはもちろん、教科書ではネットワーク情報機器として携帯電話を想定していないということも原因だが、何よりも先生がパソコンのほうが分かるので、そっちを教えたがる傾向があるという点は、今後の課題となるだろう。
意見交換会の後、山谷氏は記者団の質問に答える形で、「(子どもに携帯を持たせないという)提言を出した時に『小刀を持たせるなというのと同じだ』という人がいたが、ネットは向こうから情報が入ってきて、ナイフだと思っていてもダガーナイフになってしまう。メディアリテラシーも必要だが、業界の責務として速やかに対策をしてほしい」と、さらなる規制が必要との見方を示した。