雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ワークフェアと次の成長へ向け、統計の整備と外交・福祉への投資を

戦後日本の勤労精神と福祉って、建設・土木をすれば食い詰めないという労働市場ボトムラインに支えられていたところ、公共事業の見直しで底が抜けたにも関わらず、生活保護の運用を見直さなかったから、本当に底が抜けてしまったのではないか。しかし、いまさら土建立国への回帰も投資効果に乏しい。ミクロ的には教育を通じてミスマッチを多少は解消できるとして、マクロ的には如何に新たな有効需要をつくるかが問題だ。

「勤労を通じて経済的に自立し貧困から脱出する」ワークフェア思想、「教育により個人の市場対応力を高め、機会の平等を確保する」という考え方・政策は、日本型雇用・社会保障政策として受け入れられる素地があるのではなかろうか。

これから世界中で景気対策と称して年数十兆円単位の無駄遣い競争が始まる。日本は惰性に任せていると、要りもしないダムや道路、土地改良や見込みのない研究開発に浪費されることになるだろう。無駄遣いのいいところは単年度で完結し、将来の義務的経費を増やさないところだ。しかしそういった即興芸ばかりに現を抜かしている限りは、人的資本を蓄積しようがないのではないか。
我が国がこれからやるべきことは少なくとも3つある。まずは行政と統計を分離し、正確な状況把握を担保すること。同じ役所に統計と行政を担当させているせいで、統計が各省の予算と人員を正当化するための創作となってしまっており、数十年前からの政策の無謬性を正当化すべく身動きが取れなくなっている。国交省の無駄な道路整備を支える需要予測のトリックは猪瀬直樹氏が明らかにして久しく、農水省の食糧自給率を巡るトリックは今月の文藝春秋が大きく取り上げている。正確な統計を研究者に開放し、競争的資金を通じて公正に分析させることが肝要だ。この分析業務は文系ポスドクの有力な受け皿となるのではないか。
次に投資型の研究開発補助金を縮小し、購買型の企業育成に切り替えることだ。20世紀の技術革新の多くは、軍需とそこから派生した航空宇宙産業に負っている。VCやベンチャー企業イノベーション・パイプラインの最下流で、そこだけ整備したところで新たな技術や産業は産まれない。時限的な実証実験やプロトタイプ製作では、報告書の厚さをチェックして終わりとなってしまう。資金の出し手が最終消費者として利用しなければ厳しい目が養われない。投資なら市場から調達すればよいのであって、政府に縋るのは民間から資金を調達できない劣悪なプレーヤーばかりになってしまう。
日本は戦前の航空機産業を礎に自動車産業が産まれ、1980年代まで電電公社が購買型の企業育成で通信・コンピュータ産業を牽引してきたが、通信自由化以降は投資が縮小し、新たな産業が産まれ難くなっている。防衛予算を増額して自衛隊の正面装備や人件費だけではなく、もっと国内での先駆的製品の研究・開発・調達に振り向けるべきだ。戦争は外交の延長というが、外交を左右する食糧、資源、環境の分野で優れた製品を積極的に購入して世界中に撒くことも考えられる。人命がかかって厳しい説明責任が求められる点では医療も有望だ。健康保険とは別に、先端医療の治験に対して国費負担の枠組みをつくってはどうか。優れた技術に優良かつ安定した買い手があるからこそ、民間は優れた技術を持つベンチャー企業を見極めて投資する。それがシリコンバレーを支えてきた論理だ。
最後に内需主導の雇用の受け皿として、医療・福祉が期待される。急に医師や看護師の数を増やすことはできないが、彼らの雑用を補う単純労働の需要は少なからずあるし、医療分野であれば資格や対応する教育制度、キャリアパスも豊富に用意されている。いまの病院経営に新たな雇用を産む余力はないが、ここは保険制度と公的助成との匙加減の問題だ。これから高齢化が進むことを考えると需要が減るとは考えがたく、今だって深刻な人材不足の状況にある。最低賃金を底上げし、かかる賃金を医療法人・社会福祉法人が支払えるよう、保険や公費負担の在り方を見直すべきだ。老後が安心なら退蔵されている個人金融資産も動き始め、雇用の受け皿さえあればワークフェアの発想で失業者・無業者を救済できるのではないか。
各々の省庁が最大限の裁量的予算を確保しようとする囚人のジレンマにメスを入れ、国民が安心して老いることができる環境をつくって個人金融資産を野に放ち、人材を育て世界に役立つ将来への投資を見極めることが重要だ。