ロスジェネを擁護しつつ逡巡すること
今日は仕事始め。派遣村をみようと昼飯がてら日比谷公園に行ったんだけど、概ね撤収が済んでいて、カメラを抱えて撤収するテレビクルーとか、毛布を積んだ軽トラックとか、炊き出しに使ったんであろう寸胴を載せたバンしかなく、意外と撤収の手際がいいことに驚く。松本楼には行列ができていた。
「夢(自分の理想の職種)」と「安定性」を天秤にかけて、いつまでたっても割り切れないだけだろう.今、正社員の人間のどれほど多くが 理想の職種を手に入れていると思っているのか?
分かったような口を利いてロスジェネ世代を擁護する僕だが、正社員になりたくともなれない状況を実感として理解できていない。求職に応募しても受からないといっている人に、それは夢を追っているからだ、高望みしなきゃ安定した仕事があるじゃないか、みたいなことが当てはまる場合も確かにあるのかも知れないけど、分からない。
受け入れてもらえる仕事に就いても先が見えないとか、明らかに労働基準法違反っぽい正社員求人とか、本人たちからすると死活問題だし。掲示板とかでネガティブ情報は瞬く間に共有され、嘘かホントか分からないのに、入る前からみんな真剣に気にしている。なまじ情報が増えたせいで、いい条件の仕事もあることを知る機会が増えた。踏み留まればもっと大きなチャンスが来るかもと逡巡させる誘惑が増えたのだ。
それでも昔は世間体を考えて就職したところ、最近そういう社会的抑圧が減っただろうし。これは地域コミュニティの空洞化とか、親世代の経験や価値観も関係していそうだ。
製造業は 多くの人たちが思っているよりも、ヒト余りの時代が来ている.自動化され、効率化され、果てには 安い賃金の国にアウトソースされ、人が居なくても製造できる時代になっているのだ.ここでワークシェアリングなんぞして堪えてしまったら、そこでその数年過ごした人が さらに近い未来に来たる「もっと人の要らない時代」に 何の働きをするというのか?ここでちゃんとシフトさせる土壌を作っておかなければ、それこそ国の責任問題になるぞ?
衆院選を気にする政治やマスコミの空気を読んで、厚生労働省が製造業派遣の再規制を検討しているようだが、問題認識が即物的でずれている。真面目にセーフティーネットを再構築しようにも財源の目処が立たないから、時論に乗って耳目を集めるスタンドプレイに走るのか。問題は製造業派遣に限らず派遣会社が派遣労働者の雇用や配置転換に対して現実には責任を負っていないこと、派遣労働者が仕事を通じてエンプロイアビリティを高められていないこと、仲介機能を強化しただけでは不況下で雇用の安定を担保できないこと、会社単位の社会保障から派遣労働者が排除されていること等にある。
「変わりゆく仕事」に身を委ねて生き抜くって大変なことだし、正社員だって難しいのに、派遣労働者に「自己責任で世の中から必要とされろ」と説くのは酷ではないかと思う。けれども企業に雇用義務を課さず、いったい誰が人に居場所を創り世話を焼くことに汗をかくのか。国とか派遣会社とかセクターの問題ではなく、で、結局は誰が世話を焼くの?的な卑近な議論が大事という気がする。一般化は難しいけれど。
雇用の流動化は避けられなかったとして、社会保障や職業訓練の議論をすっ飛ばしたことは政策として不備。無責任ではあるが、だからといって派遣切りを批判する世論を追い風に改革を全否定しては更に無責任だよね。このところ日本がどう生き残るかって話が棚上げされがちな雰囲気があるが、いずれ別のかたちで問題になるのだろう。