雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

画一的な英語教育改革は学歴エリートの自家中毒ではないか

先日たまたま大学と産業界から文部科学行政の英語教育がまだまだ手緩いと厳しく批判する場に出くわし、この手の言説が小学校の英語教育とか極論へと導いているのかと考えさせられた。教育は誰しも受けているし、社会に出てからアレもっと勉強していれば良かったという後悔もあるせいで極論に走りがち。自分が生徒であった頃の関係性しか思い返さず、現場で悩みつつコロコロ変わる政策に振り回されて多忙に走り回る現実の教師に思いが至らないのも如何なものか。

このお猿達並の現状を皆さんはお分かりになりますか?
小学校英語に関する現場からの意見は,ことごとく抹殺されています。
大手の英語雑誌もこぞって国を応援。

功成し名を遂げた産業界の方々が、自分にもっと英語ができていればアノ失敗はなかったと悔やむのは分かる。僕は複雑で、中学で留年し、高校で中退し、受験も失敗して大学で留年するなど英語の不出来で人生は大きく狂ったが、普通に英語ができて一流大学に入ったら学業そっちのけで仕事に励む余裕もなく、なまじ学問に興味を持って大学院までいって就職氷河期に直面し、高学歴ワーキングプアとなっていた公算が大きい。方々で高度人材が必要だから人材育成を!というのだが、そんなに魅力的なキャリアは用意されてたっけと、同世代の僕よりは真面目な人々の苦労をみていると疑問に感じる。
今も大して英語はできないから、朝からBBC World NewsやCNETのpodcastを聴き、DSの英語漬けでディクテーションに励み、毎日浴びるように英文メールを読み、それでも仕事で上司や同僚に英文メールを手直ししてもらうこともある。英語が苦手といっても学生時代からライターとして取材費用をもらって海外の展示会を取材し、外資半導体メーカーから受託調査の仕事を請け、PCショップのアルバイトとして台湾の展示会でガジェットを物色しては仕入れ、Linux IPv6関連の情報を発信して本家のHOWTOから参照され、前職では西海岸に飛んでベンチャーとの提携交渉を手伝い、今は何かの間違いで外資系企業に籍を置き、自他共に英語ができないと認めているにも関わらず本社の幹部にややこしい政治案件をレクする機会もある。細かいワーディングが命運を左右する交渉は英語のプロに任せたいところだが、用事があって主張したいことの筋が通っている分には何とか意思疎通できる。
自分を棚に上げていうのも何だが、個別の特にうまくいった人生を世の中に敷衍して議論することは非常に危険だ。しかしエラいひとほど乱暴な議論に走りがちで、それがそのまま政策に落ちてしまうことは残念というか、現場との葛藤に悩まず強引に新政策を通して教育現場を引っかき回すのは官僚の怠慢か、組織に欠陥があるのではないか。産業界の重鎮も文部キャリア組も同じ学歴ヒエラルキーを登り詰めた超エリートで、わたしや中学・高校の先生方と比べたらずっと英語がお出来になるに違いない。意見は様々な方面から前広に聴くにせよ、行政なのだからもっと普通の先生、普通の生徒のことを考えて、極端ではない議論をしていただけないものか。
能吏の悪いところは与えられた制約条件の中で最善を尽くし、振り回される周囲のことは考えないことにある。彼らは彼らなりに現実を理解していても、与えられた職掌の範囲で限られた任期中に大きな政策を打とうとする。彼ら自身が超エリートで、彼らが諮問する有識者だって多くは似たような出自だ。政策対象である教育に関して、極めて偏った立場からの議論となってしまっていないか。
わたしが英語を嫌いになったのは学び始めた中学の折、PTAから解任させられたり留学生に英語が通じないとか出来の悪い先生ばかりに当たったからだ。クラス毎で平均点を競争させていたら定期試験前に問題をリークする先生が出る始末。中高一貫進学校だったが、優秀な先生を大学受験対策に寄せていたせいもあり、私の当たった中学の英語の先生は非常に出来が悪かった。
彼らは教科書に載っている英語の文法や作法は知っていても、実際には英語を使わない人生を送っている場合が多い。本人でさえ理解の曖昧な英語を、彼らの話せない英語で授業された日には、生徒はチンプンカンプンとなってしまうのではないか。だいたい世界に目を向けて自己研鑽に励む連中と、コンビニの前でウンコ座りして仕事じゃ海外に行かない連中とを十把一絡げで英語で授業すべしという議論は無茶だ。しかし能吏は産業界の強引な議論に引っ張られつつ、教育の機会均等にも固執し続け、自分より立場の弱い教育現場に矛盾を押しつける。
本気で英語で授業を行うなら、理解度に応じてケアできるよう少人数で、使わなきゃ錆び付くから先生には5年に1度はサバティカルで3ヶ月から半年くらい語学研修すべきだ。そんな投資を全国一律でできるはずがないので、まずは旧制中学校のように各地方に1つくらい英語教育を徹底した中高一貫の英語重点校をつくってはどうか。初等中等教育の教授法は急に全体を触っても混乱を招くだが、重点校での取り組みや大学入試はすぐに触ることができ、受験生や教育産業は迅速に対応するのではないか。
大学でも留学生対応で英語で講義するよう要請があるらしい。確かに世界中から留学生を受け入れて国際的に通用する研究を標榜して補助金を多く受け取っている大学は、品質を担保できる授業から英語に切り替えるべきだろう。しかし教育の質を落とさずグローバル化を諮る観点から、今いる英語の苦手な教員にまで英語での講義を押しつけるより、まずは教授陣の国際化を睨んで教授会から英語に切り替え、重点的に外国人教員の割合を高めてはどうか。
優秀な英語教育人材を確保できない学校は、今いる先生に無理をさせるのではなく教材の活用を考えた方がいい。DSの英語漬けなんかディクテーションの反復練習に使えるし、最近のコンピュータ教材は音声認識エンジンと組み合わせ、発音もしっかり注意してくれる。そうでなくとも忙しい英語の先生に今の学校の枠組みで無茶なプレッシャーをかけるより、伸びる子が才能を開花させ得る環境を用意し、高いハードルを越えた子に対して国がもっと投資して更なる挑戦の機会を提供すべきではないか。
国際競争力も重要だが、目標を明確にしてメリハリをつけた対策を打つべきではないか。例えば、

  1. 学者や弁護士、経営者、外交官などとして世界で外国語による困難な交渉を求められる高度人材
  2. シンボリックアナリストとして世界最新の知識を摂取し英語での業務折衝に対応できる専門人材
  3. 外人から道を聞かれても回答でき移民に対し簡単な指示や意思疎通を図ることのできる基礎人材

くらいに分類し、基礎人材に対しては基礎的な英会話、専門人材に対しては大学から英語教材を使った専門教育、高度人材は10代から徹底的に外国語漬けにして多感な時期に交換留学をさせ、世界に人脈を広げさせてはどうか。英語なんか使ったことのない高校の先生に無理に英語で授業させるよりは、ずっと現実的かつ効率的に即戦力を育成できる。
たいがい日本の奇妙な政策は、能吏が矛盾に気付きつつ職掌の範囲で身を守るために誤った前提を見直さず、自分よりも立場の弱い人々に矛盾をしわ寄せすることで生じる。いま教育がおかしなことになっているのも、産業構造の変化と場当たり的な大学院重点化が戦前以来のパイプラインシステムを壊しキャリアパスを描けなくしてしまったことが問題であって、教育現場とは必ずしも関係ない外部環境に起因する構造問題なのに、産業界や外部有識者の思いつきに乗って現場を混乱させようとしている。教諭や大学教授に慣れない英語で授業させる前に、教育現場の声に耳を傾けつつ、限られた資源で必要な人材を育成するために、教育の機会均等について在り方を見直すことが先ではないか。