人も社会も責めたって詮無い
今月発売のVoiceでロスジェネについて対論した。奥谷禮子氏が「派遣切りされて困った若者は自己研鑽や備えが足りない。ロスジェネは言葉遊び」と論じたのに対し、わたしは「ロスジェネは労働需要の問題。セーフティーネット整備と公正な雇用環境整備で世代間の痛み分けを」と主張した。
反目しているようで共に労働規制改革を支持しているあたりVoiceの読者層を意識し過ぎた。派遣労働者の自覚不足は否定しないが、衰退産業の正社員だって危機感じゃ五十歩百歩だし、誰もが危機感を持っている社会も随分と世知辛い。
派遣切り・ロスジェネを見捨てるツケ(gooニュース)
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派遣労働者側の話に戻ると、給与と寮を与えられて、しかもスキルを身につけられるような仕事とはほど遠い単純作業に従事していながら、まったく危機感を持たなかったならば、それはそれで何か欠けていたのではないかと思う。 (略) それとも、派遣労働者のすべてが、深夜残業や休日出勤、不規則なシフトなどの過酷な労働条件の元で働いていて、自己啓発/自己研鑽する時間がまったく取れなかったのか。
製造業派遣って給与が良く残業がないところが旨味で、農業や福祉・介護、役所が急場しのぎで用意した事務補助じゃ割に合わずミスマッチは解消しないだろう。連休明けにも補正が組まれ雇用対策と景気対策が衆院選の争点となりそうな雰囲気だが、財政支出で労働集約的かつ暫定的な仕事ばかり増やしたところで危機感ある労働者ほど飛びつかないのではないか。雇用条件が悪化する上にキャリアパスも見えないから、景気が回復するまで様子を見たほうが得と考えてもおかしくない。福祉や介護といった明らかに需要増を予想できる業種で待遇改善を図れればいいが、これは恒常的な支出増になるから財務省も与党も望まないだろう。
農業や医療・介護が、この不景気にも関わらず人手確保に苦労しているのは、ひとえに重労働・低賃金に起因するが、ではなぜ低賃金かというと生産性が低いからで、なぜ生産性が低いかと考えると、事業規模が小さく、経営効率が悪く、市場が国内に閉じているうえに、価格や供給が政府によって規制され、超過利潤が政策によって補正されてしまう構造になっているからか。同じ規制業種でもマスコミや通信は高給だし、サービス業は市場が働いていても低賃金だし、何かが原因でどうなっているというほど単純な話でもなくて、世の中そうやって市場の需給の中で様々な仕事に値段が付いているってことか。
犯人探しをしても詮無いが、働きたい人に対して何を頑張ればいいよという程度の指針は提示されるべきだろう。また財政資金は一時的な職を提供するよりも、これから日本で必要な人材を育てるところに費やされるべきではないか。また、人の足りていない業界のいくつかは、政策的に守られたことが生産性改善を阻害してきた疑義もあり、その辺について何らかの仕切り直しは必要となりそうだ。
世の中がどうあるべきというのと、今どうすべきということには落差がある。僕は個人的に労働契約法制で解雇規制は緩和すべきという意見だが、それはベキ論であって今やっても副作用のほうが大きく、景気の回復局面で失業率改善を加速させる施策として打つべきだと考える。政府紙幣はやりすぎると問題があるが、歯止めの仕掛けをつくって管理する分には、頭の固い日銀に対するプレッシャーとして検討されるべきだろう。しかし国債と同様に、どう発行するかより何に使うかが重要だ。
公共事業のような特定分野への集中投下は、受ける側の準備ができていない点で迅速かつ効率的にやりにくい。減税や税還付、フードスタンプのように消費にじかに働きかけるほうが、確実かつフェアに広い範囲に恩恵を施せると感じている。しかし世の中的には定額給付金の評判は悪いし、ばら撒きといわれないような仕掛けは必要だろう。
恐らく貨幣とか経済は媒介でしかなく、いま日本が迷走しているのは、もっと手前のところでこの国が何処へ行こうとしているか判然とせず、個々人もどこへ向かえばよいのか、後進をどっちに育てればいいのか、はっきりしないことが問題なのだろう。しかし先が見えない中で模索し周囲を巻き込む能力こそ、これからの時代に求められているのではないか。