雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

やっぱ「ガツン」じゃねーよ、と

ハックルの中のひとは結局はてブをどうして欲しかったんだろうね。あれから諸々考えたんだけれども、できることって大してないよね。まあ、/.のモデレーションとかも考えられるけど。で、ひとが傷つくのって文脈無視の罵詈雑言よりは、的を射た批評的言説だと思うわけですよ。分かってるだけに傷つく、みたいなさ。そういうのって書きようによっちゃ名誉棄損に当たる場合もあるけれど、そうでもない場合だって多いし、違法有害情報をみつけたら消しましょう、みたいな話じゃないんだよね別に。
終風翁といい池田信夫氏といい、東浩紀氏といい、書けばブクマの集まるはてブリッチが、群がってくるネットイナゴに批判的だったけれど、ネガコメの書き捨て的な側面とか、ネガコメ野郎に限って妙に上から目線であることは気に障るけれども、あまり思いつめるようなものでもないな、とも思う。だいたい気にしなきゃいいんだし。
けど実際問題として気にしてしまうし、眺めてネガコメに当たると凹むが、それってエゴサーチしたり、昂じてGoogleアラートに本名を登録してネガティブな言及をみつけてしまうのと何が違うんだろう。いや結局いずれも仲介者でしかなくて、前のエントリーに書いた通り、はてブも突き詰めれば郵便や電話、雑誌と変わらないんじゃないか。
逆にいうと、はてブが問題視されるくらいに、これまで書き手って手厚く守られてきたんだよね。わたしもライターをやっているけれども、けっこう力を入れて原稿を書いたってフィードバックがあることはまずない。賛意も含めて、ね。自分の原稿がWebに載るようになって、はてブが多少つくと、それが一番大きなフィードバックだったりする。アクセスの傾向とか、担当編集から教えてもらうこともあるけど、さ。定性的な感想やらフィードバックまではいかない。
はてブの傾向としては、あまりコンテンツの質を評価して数字が伸びるわけでもなくて、はてブの中での文脈みたいなものが大事だ。これは別に文壇や学会誌と同じで、あらゆるコミュニティにコミュニティなりの力学が働くことはそれなりに健全なのだろう。まあしかし、炎上とか喧嘩の気配があると囃し立てる物騒さは感じるし、ブコメを稼いでいる方は稼いでいる方で、そういった視線を意識してヒートアップしているところもあって、一方的に被害者然とするのもアンフェアじゃないか。
これまで何年かかけて、はてブもそれなりにモデレートな感じにしようと方向づけていることについて、始まったころからウォッチしている者としては感心しているし、ユーザーの声を聞きながら、法的義務よりも踏み込んで改善してきたと思うよ。本当に怖いのははてブではなくて、その先にいる人間であって、けれども人間って触れ合えば傷つけあってしまう巡り合わせもあるし、人をコトで結び付けていくというのは、そういうリスクと不可分じゃないかな。
昨今のネット規制について自分なりに考えをまとめようとしているのだけれども、つまるところ世の中にある機会格差やら壁のようなものの多くは、不幸な巡り合わせを事前に避けるよう設計されていて、それは時に差別なり不平等の原因となるけれども、それらを取っ払ったからといって社会が良くなるとは限らない、と。そしてこれまで郵便や放送、鉄道、自動車といった様々な媒体が生まれるたびに、新たな不幸が諸々でてきて、それに対して新たな制度が形成されていく。
静的にはチグハグで無原則だけれども、mixiを規制されたらtwitterに逃げて、はてブを規制されたらtumblrに逃げて、というアーリーアダプタ的な終わりなき逃走というのも、社会の動的均衡として捉えるならば歴史の繰り返しに過ぎないのかも知れない。ではブロッキングのように、もっと下位層で権力に反するサイトを止められた場合、それでも終わりなき言論の逃走は継続されるのだろうか。ブロッキング後の自由な言論とかを考えると中国P2P情報流通事情とか鑑みる必要があるだろうし、中国の緑壩花季護航を巡る動きとか更なる対抗策として捉えるべきか判断するには時間を要する。
そういう訳でハックルさんが何をガツンといったかは定かじゃないけれども、あまり真に受けても見通しの立った話ではなくて、道義的責任という言葉は受け止めつつ深慮が必要だろうな、と思う。Craigslistは当局からの圧力で性的サービスの広告を扱わなくなったらしいけれども。
作戦としては「氏ねばいいのに」とか問題を起こしたタグの利用を禁じるとか、そういったタグがついた途端に他のひとからはみえなくするとか、要注意IDに対する常時監視やらブコメの単語出現頻度にベイジアンフィルタをかけてネガコメを自動判別とか、ネタとしては諸々思い浮かぶし、そういうのを好きそうな人もいる。けれども、そういうアプローチははてならしくないし、何か起こっても今の延長線上で粛々と続けてほしいと切に願う。