雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

「政府一元化」の先にある世界

昨年ネット規制への対応に奔走し矛盾を垣間見た者として、与党議員による議員立法を制限する政府一元化をまずは歓迎したい。自民党政権下での議員立法は、実際のところ組織の統制から外れた官僚が、とても閣法じゃ通せないようなクセ玉を、手柄を立てたい議員に取り入って提出し、十分な議論を経ずに通ってしまいかねない問題があった。
各省で相当の時間をかけて利害関係者と詰め、内閣法制局が叩いている閣法であればこそ、政調会での政治的な調整だけで通せたが、議員立法の場合はボトムアップの民主的手続きを踏んでおらず、諸々の整合性や利害関係について詰まっていない場合が多い。官僚がスタンドプレーに使える抜け穴としての議員立法を封じたことは、やや逆説的だが与党主導の政権運営に必要な措置ではないか。
この10年近くで激増した議員立法、特にねじれ国会の中で与野党が競い合って法案をつくる中、議院法制局の負担は増していたが十分な人員は手当てされず、結果として仕事の質はかなり低下した。政権交代の混乱を乗り切り、多様な価値観の議員を抱えた連立与党で、官僚組織を掌握して最大限の成果を出すためには止むを得ない統制と考えられる。しかしながら、これが長期的な立憲政治の在り方として望ましい方向かどうかは、まだ勉強不足で如何とも言い難い。
冒頭と矛盾した極論をいうと、個々の問題で民意を反映するためには、議員立法を認め、党議拘束も外すべきだ。二大政党制では様々な問題に対して有権者である我々は何れかの党に包括委任するが、特に今後、都市と地方、逃げ切り世代と若年世代が対立する問題について、政治的に難しい判断を行う必要がある場合に「マニフェストに書かれているから」で議論が封じられては困る。またネット周辺の素早い動きに対応する必要がある場合、閣法でやろうにも諸々の整合性を取ることも利害関係者の調整も難しく、著作権法のように後手後手で一進一退の現実もある。
本来であれば個々の政治家が、政治家として有権者と向かい合い、場合によっては党執行部と違う政治決断があってもいい。政府一元化と従前からの党議拘束とが合わさると、民主主義の企図した権力の分散が機能しなくなる懸念がある。しかし現在の仕組みでは個々の政治家が政権に刃向って議論を組み立てられるだけの体制はないし、それを目指そうとすれば米国のようにカネのかかる政治となるのだろうか。
また政治主導の流れの中で、議員立法を企図した様々な超党派の議連が形成され、政界の横糸として機能してきたが、与党による議員立法が封じられた場合に、そういった議連を通じた複線的な人間関係が薄れ、新人議員が「一致結束箱弁当」で党執行部を支え、中堅議員は政務やら国会運営で多忙を極めると、誰も闊達に議論する余裕はないのではないか心配だ。
仮に政権が軌道に乗った場合、公務員人事制度改革とも絡めて、どこにスタッフを張り付け、彼らがどう継続的に専門知識を蓄積し得るキャリアステージを用意していくか考える必要があるが、党職員が政務官の職を得ることはあっても、党として政府と独立した政策立案機能に大きく強化できるとは考え難い。民主党は以前から政党助成金頼みの党運営で、それが当選者数と連動する以上は政治家秘書と同様に非常に不安定な仕事とならざるを得ず、優秀な若手人材を登用することは難しいのではないか。それ以前に新人議員の政策秘書は決まったのだろうか。
政権交代で中期的には民主党マニフェスト通り企業献金を廃止し、野党転落で今後は自民党の集金力が落ちるとすると、自民・民主とも財政的には政党助成金頼みの国営政党となり、独自財源を持つ組織政党は公明・共産・幸福?に限られる。そういう状況で二大政党制らしい闊達な議論ができるのだろうか。特に自民は政策通の若手・中堅議員がごっそり落ちて非常に厳しい環境にある。
わたしは政府一元化が政権交代を定着させる上で、現実的かつ賢い一手だと認める一方で、それが恒常的に続いた場合、これまで以上に民主主義が機能しなくなることを懸念するし、中長期的には党の近代化と政策立案機能の強化を目指すべきところではあるが、各党の懐事情やら人材の動きをみる限り見通しは明るくない。
民主党に投票した有権者は変化を望んでいたが、必ずしも全ての政策に対して白紙委任状を渡した訳ではない。その辺の捩れがが顕在化する前に、与党は個々の政策決定について、民主主義的な正統性を担保できる環境を構築すべきだが、その気があったとしても参院選の結果が出て更に数年はかかるのではないか。
その間に再び政局が流動化すれば統制を強めざるを得ないし、それなりに政局が安定したとしても逆に形成されつつある権力構造が固定化する可能性も考えられる。そういった一抹の不安は感じつつ、まずは新政権の船出を歓迎し、起こっている急激な変化を楽しみたい。