雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

この国は世界を変え得る変人に優しくなったか?

壇弁護士が懐かしい話を書いてると思ったら、今日は金子勇さんの一周忌だったのか。彼と実際にお会いする機会は数度しかなかった。青学会館でやってるセミナーでP2Pについて講演した時や、天下一カウボーイ大会の後のパーティーだったか。昨年は昭和記念公園のプールにいてTwitterで訃報を読んだのと新聞記者からの裏取りがほぼ同時だった。
ミスターインターネット: Attorney@law
惜しい方を亡くしたと思った。わたしがマイクロソフトに入った2002年、ちょうどWindows Server 2003Visual Studio .net 2003のローンチを一緒にやろうという話で、セミナーを共催したり、両方のコミュニティーと話していたから、わたしもVisual Studioについて語る機会が時々あった。当時はWindowsアプリといえばVisual C++ 6.0を使って書くのが普通で、C++標準への準拠を高めたために後方互換性や古いバージョンのOSでの動作に難があったVC++.netを使うユーザーは非常に限られていた。製品担当のエバンジェリストに「そうはいってもVC++.netで書かれたアプリなんてあるんですか?」と詰め寄ると出てきたのがWinnyだった。今振り返ると笑ってしまう話だが、著作権の権化と思われていただろう僕らマイクロソフト社員(当時)がお客さんから「で、VC++.netで書かれたアプリなんてあるんですか?」と聞かれる度に「実はWinnyがですね」と応えていたのである。新しいコンパイラーを使ってるからどうということはないのだが、それだけ尖ったプログラムで、技術に対する目の肥えた当時のエバンジェリスト達からも一目を置かれていたのである。閑話休題
Winnyが最初のP2Pアプリではない。Napsterがあって、Gnutellaが出て、それからeDonkeyだのKaZaAだの色々あって、日本でWinMXが流行った次がWinnyだった。「ブロードバンド・トラフィックの大半はP2PWindows Updateではないか?」と揶揄された時代のことである。その影響は回り回ってISPの県間接続を圧迫して経営危機を招き、ISPは東京・大阪にだけルーターを持てば全国でサービスを提供できるように制度が見直されたり、P2Pトラフィックを止めていいか、それが認められないならせめて容量制限をつけようといった話になったり、まさに「インフラただ乗り論」が2000年代半ばの通信政策に重大な影響を与えたことを覚えている。
わたし自身はWinnyの恩恵を受けていないが、P2P技術は商用化で集中の進むインターネットを本来の自律分散アーキテクチャーに引き戻す遠心力として興味を持っていたし、Skypeがビジネス的に成功するなど「ならず者」ばかりでなくコンテンツ配信を最適化する要素技術として活かされ始めていた。数多あるプロジェクトの中でファイル共有という古典的なアプリケーションの中ではWinnyが頭抜けて効率が良かったようだし、途中からはファイル共有だけでなくP2P掲示板に発展しようとしていた。Freenetなんかが昔から追求している領域で、実用性はやや厳しかった。その後、匿名性の高いネット空間はTor Hidden Serviceで実現されて、ファイル共有やIP電話どころか、Bitcoinで仮想通貨までもがP2Pインフラ上に構築される時代が来ている。それらは麻薬取引などに悪用されてもいるが、自由のない国々で当局の監視を乗り越えた民主化運動にも使われ、社会に大きな影響を及ぼしつつある。
少し前に映画「ソーシャルネットワーク」をみて、ショーン・パーカーがFacebookの初代CEOになる下りをみて、どうして金子さんはショーン・パーカーやヤヌス・フリス(KaZaASkypeJoost)のようになれなかったんだろうと考えさせられた。それは彼自身のやりたかったことの方向性とか日本に於ける起業環境とか色々あったにしても、この10年で東京のビジネス環境や世界の通信インフラが飛躍的に改善する中、金子勇さんから若い貴重な時間とコードを書く自由を奪ったのは司法だった。片山祐輔氏の事件で冤罪となった学生に対する捜査しかり、未だに日本の司法はインターネットやIT技術に対して、十分な理解と捜査体制を確立するには至っていないように見える。失われた時間や金子さんの命は戻ってこないけれども、日本のプログラマーが自由に萎縮なく開発でき、全てのインターネット利用者の人権が尊重される環境を確保することは今なお重要な課題ではないか。金子勇さんの一周忌に、改めてそういったことを考えた。