雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ソフトの部品化と生産性

ところでSOAでソフトを再利用とか簡単にいってしまうと眉唾というか,すぐプロトコルとかコンポーネント・モデルとかメソトロジに関心がいきがちなのだが,実際のところ再利用できるコンポーネントをつくるには,使い捨てコンポーネントをつくるより費用と期間がかかるのであって,そのコストを正当化できる理由なり仕組みがあるかどうかも重要である.ただ部品化するためにコストが増えるだけでは生産性は却って低くなりかねない.
世にこれだけ,どう儲けるか見当もつかないWeb 2.0ベンチャーが跋扈して,せっせとAPIを公開しているのも,広告バブルもさることながら,うまくするとGoogleYahoo!が買収してくれるかもねー,というプレミアムが織り込まれていたりする訳だ.
ソースを公開すれば誰か勝手に書き直して使ってくれるだろうとか,銀の弾丸的部品化技術が腐ったコードも万能にしてくれるとか,そんな虫のいい話はどこにもない.どんな環境でもソフトを汎用的にも場当たり的にも書けるのであって,再利用性を高めるためには,汎用的に書くことの付加価値が正しく認められ,その投資が回収され得ることを実証していく必要がある.必要なのは部品化強制ギブスのような不自由な環境や作法よりも,きちんと部品化すれば儲かると考えるに足る市場環境と実績ではないか.
銀の弾丸なんてどこにもないけれども,どんな技術だって何かを楽にする意図があるのだし,それらを使いこなそうという動機付けは重要だ.それが必ずしも技術的な問題ではないことは,ブルックスの「狼人間を撃つ銀の弾丸はない」という警句と同じようにスルーされるのだろうし,「さあ本当の銀の弾丸がここに」という狼少年も絶えない訳だが.