雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ロスジェネ対策は所得再配分ではなく人材開発投資たるべし

ロスジェネが格差の大きな世代であることは分かった。けれども再配分って本質的には格差を固定化するんだよね。昔なら無駄な公共投資を打ってでも、ともかく工事現場にいけば仕事があるという世界をつくった。これなら生活保護より勤労意欲に負の影響を与えないし、当時は社会資本が足りていなかったから、それはそれで合理的だったのだろう。
問題は本当に必要な社会資本がそれなりに満たされてから誰もブレーキを踏まず、別の方向へと舵取りもせず、本四架橋が3本もかかったり、車の通らない舗装された農道とか山ほどつくってしまったことだ。その辺は、田中角栄郵政大臣時代に地方民放に免許を出した時は誰もがWin-Winだったのが、今や地方民放を生き存えさせるために通放融合法案を何度も流産させたり、衛星同時再送信の受信をB-CASカードで制限しようなんて議論のまかり通る、いまどきの政治の不甲斐なさでもあるのだろう。
僕はロスジェネ問題って所得再配分よりも雇用機会創出とか能力開発が本丸だと思っていて、衣食足りて自分から勉強できるところまで所得を引き上げるだけでは不十分で、食い扶持だけでなく居場所をみつけて能力を発揮できるようにどう持っていくかが肝心だと悩んでいる。格差解消だけ考えるのであれば、日本特殊な雇用慣行である新卒一括採用・年齢差別・年功賃金にメスを入れるのが筋だが、それを企業に強いる方法がない。どうせ新卒ばかり奪い合う時代が長続きするとは思えないんだけど。
だいたい会社にしがみついていれば定年まで勤め上げられるという企業福祉社会って、どの会社も員数分の食い扶持を安定して確保できる官需とか談合とか系列によって成り立っていた訳で、財政再建・腐敗一掃・自由競争というからには、これまで会社が肩代わりしてきた福祉を社会で受け止める覚悟があるんですよねー、という議論はもうちょっとされる必要があったのだろう。政府や自治体の財政からいって昔に戻れる訳がないのだが、これまでとは別のカタチで仕事を融通するなり生活を支える必要はあるのだろう。
本来の論点は所得再配分ではなく、人材開発や雇用機会の提供であるべきだ。次の問題は、じゃあ政府が具体的に何をできるのかという点にある。最低賃金の値上げか、ワークライフバランス改善によるワークシェアリングか。特に中小企業に対して、具体的に何ができるのか。こういった会社に対する規制は平場で議論すると反論し難いが、中小企業に押し付ける前に中央官庁で実践すべきだろう。
役人と飲んで驚くのは、特に今は国会会期中ということもあるんだろうけれども、夜11時過ぎまで飲んでも、それから本省に戻ることだ。国会質問の準備があるという。2人で泡盛の4合瓶を空けといて、これから国会質問対応ですかー、とか感心してしまったが、企業経営者にしてみれば、片や放漫財政を続けたって潰れない国が残業代も払わず民間以上に社員をコキ使っておいて、不況を生き抜き傾けば潰れる中小企業に対して従業員のワークライフバランス確保を強いるなんてチャンチャラおかしい、ということになるのではないか。
まず隗より始めよということでは、霞ヶ関の残業を一掃すべく、ITを活用し、業務をBPOし、それでも回らなければ公務員を増やすべきだろう。もちろん増員に当たっては率先して新卒一括採用を改め、積極的な中途採用と年功賃金の見直しを図る必要がある。大臣官房主導の交換人事や出向ではなくて、ライン人事で回転ドアを回す必要がある。
だいたい与野党に縦書きの書ける政策スタッフを置かないまま官邸主導が定着したことで、議員立法が内閣提出法案よりも民意を反映しない奇妙な捩じれ現象が起こっていて、かかる問題を早期に解消するためにも、政策スタッフ人口は今の2倍から3倍まで増員する必要がある。せっかく法律を勉強したのに法曹界に入れなかった法科大学院修了者の受け皿にしてもいい。
国会待機は廃止してモバイル対応を認めるとか、国会に無線LANを入れてリアルタイムに議事を支援できるようにするとか、業務の見直しも欠かせない。旧弊が直らないなら、いっそ政策立案機能を永田町に近すぎる霞ヶ関から埼玉あたりに移すことも検討すべきだ、といいたいところだが、そうすると情報がますます役所に入らなくなりそうで怖い。それはそれで風情がなくなってしまうかも知れないが、政治とか行政の現場をみていて、あーまだITで変えられるんじゃん、と感じることは結構ある。
そうやって少しずつ彼ら自身が仕事のやり方を変えていく過程で、多少なりとも政策支援ビジネスの雇用もそれなりに増えるだろうし、もうちょっとリアリティを持って民間の仕事の進め方をどう変えていくかについて方向付けができるのではないか。自分たちは働き方を変えません、けれども民間は国のいう通り仕事環境を改善してくださいというのでは通る話も通らない。閑話休題
ロスジェネ問題について、一義的にカネとか生活の話が出てくるのは、それはそれでマズロー的な順序として正しいけれど、これまで日本を支えてきた年配者を支えようという話と、キャリア形成し損ねたロスジェネを救おうというのは、実は全く別の議論であって、本来、前者は借金を返す話で、後者は将来のために投資する話だ。借金を返すには投資も必要ですよという点で、本来は折り合いがつきそうな気もするのである。
これを所得再配分の議論に矮小化してしまうと、却って数が多くて投票率の高い年配者を利することになる。問題は、ロスジェネの捩れが所得格差ではなく機会格差であり、最終的にはキャリア形成機会をどう補填するかという話になった時、企業行動の変化をどう促すか、或いは新たな需要をどこにつくるか、かかる需要に対する投資資金をどう手当てするか、という話を避けられないが、そこまで考えると話は重い。
重いけれども限られた財源の分捕り合いに終始せず、そこまで詰めた上で前向きな議論をしない限り、数で勝る年配者と折り合いをつけながら、ロスジェネ世代の生活を安定させ、階層間流動性を高めるための財政資金は手当されないのではないだろうか。まず人を育てるための支出は施しや捨て金じゃなくて投資なのだ、というところから議論を始める必要がある。その次は何に投資し、どういったリターンを期待するのか、といった議論になる訳だが。