雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

壊れものとして自由な人間

いや彼らも僕らと同じ人間だろうけれども、彼らの為に世の中を不自由にしたって無意味だよね、ということですよ。援助交際が問題だから子どもの渋谷駅下車を規制しようとか、麻薬やドラッグの売人がたむろするから渋谷センター街を封鎖しようなんて話は誰もしないでしょう。それはリアルな街に山ほど普通のひとが出入りしていることは一目みれば分かるし、それはネットも事情は同じなのに、極端な例ばかり報道されていて話がおかしくなっている訳ですよ。

覚せい剤取締法違反として平成18年度に検察庁に新規受理された人間,または同年にインターネットを利用した児童買春・児童ポルノ禁止法違反として検挙された714件の被害者と加害者たちなんて,自分たちと同じ「人間」ではないと位置づけれしまえば,麻薬・覚醒剤の水際規制も,有害情報のネット流通規制も,「妄想に基づいて自分たちの自由を侵害しようとする許されない行為だ」といい切ってしまうことに何の痛痒も感じずに済むのでしょう。

だいたい問題はネットよりも、彼らが埋められない心の隙間を抱えていたり、終わりなき日常に心を満たされていなかったり、暇を持て余していたりすることであって、彼らからネットを取り上げたところで街角で声かけられるのを待つようになるだけでしょう。
だから必要なのはネット規制ではなく、彼らをそこまで追いつめないための福祉政策であり、情報リテラシー教育であり、買春犯や売人に対する行為規制ですよね。だから麻薬の取り締まりも渋谷センター街を封鎖するのではなく、行政コストをかけてでも麻薬の所持や売買を個別に取り締まる訳でしょう。
彼らが人間じゃないから保護する必要がないといっている訳ではなくて、彼らのために彼らからネットを取り上げるべきだという発想そのものが思い上がったパターナリスティックな発想で、誰のための問題解決にもならないってことですよ。彼が人間であることを認めるからこそ、公共の福祉に反しない限りで愚行権も認めるべきだし、犯罪者や犯罪予備軍を人間扱いしていないのはむしろネットを取り上げようとする方じゃないですかね。
まあフィルタリングを保護者の判断に委ねることの陥穽は、ちゃんとした子の親だけでなく、非行少年の保護者も同じようにフィルタを外してしまうだろうという点にあるのは確かで、けれども非行少年はどうせネットを取り上げたところで援助交際とか麻薬・ドラッグとかに手を出す訳で、どうせ彼らを護りきれないのに、ちゃんとした子たちに不自由を強いても弊害ばかり大きい気がします。
あとは業界自主努力で、子どものフィルタリングを緩くする判断を親にさせるだけでなく、情報リテラシー教育のeラーニング教材の修了を条件とするとか、そういう方法も考えられるかもしれません。そんなことをやっても非行少年は誰かに解かせちゃったり、子どもたち同士でカンニングペーパーが流通するんでしょうけど、そういう紙をやり取りすること自体が教育に繋がる訳で、それなりには機能するかも知れません。