雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

『虚妄の成果主義』

タイトルに偏見を持って敬遠していたのだが,読んでみると科学的な良書である。会社の将来見通しがはっきりしていれば,退出願望は減り,満足度が高まる,特に現状に対する満足度が低くても退出願望に結びつかない,という指摘は直感的に理解できるし,著者の調査では非常に強い相関があったようだ。そういえばぼくも振り返ると,労働分配率とか会社の業績よりも,自分がこれ以上頑張ったときに,どう報われ得るのか,ということを自問したときに,すぐにでも会社を辞めようと考えた。自分の経験とも整合している。

CISE

最初はPICSY人事評価(成果に対する分配)に対するアンチテーゼかとも思ったが,実際はpure PICSYは究極の繰り返しゲームなので,そうともいえないと考え直す。しかし現実にPICSYを報酬配分に使うには,何らかの形でPICSY的な価値をキャッシュに置き換えることとなり,そこのルールによっては成果主義的な弊害を招く可能性はある。そこはCISEで充分に検討する必要があろう。
CISEは"Corrabolation Infrastracture for Sustainable Efficiency"の略で,単なる目標管理では,数値化できる目標が短期focusたらざるを得ず,それは持続的ではないという価値観が背景にあったので,成果主義を刹那的と断ずる本書とフィロソフィーは近い。ただ,それをガバナンスで担保することに対して絶望した上で,取引システムとして「未来への期待」を再興しようとしている点が大きく異なる。
では,日本型年功序列,終身コミットメントの復活(ないだろうが)によって,CISEは不要となるのだろうか,わたしはそこには懐疑的だ。従業員に自己決定感を持たせ,日本型年功序列で終身コミットメントを担保できる企業は今や少ない。裕福な企業は本書の主張通り,社内での繰り返しゲームを通じて未来志向の行動を喚起できるだろうが,マクロ的にみて(という表現自体,高橋氏は嫌われるかも知れない),そういった恵まれた企業で身分を保障され得る人の数は知れている。
世知辛い世の中ではあるが,中長期に対するコミットメントを喚起できる取引システムがあれば,経済の成熟化に向かう日本のなかで,より多くの人が自己決定を自覚し,満足度の高いかたちで,いまコミットしている職場に対して中長期的な観点で働くこともできるのではないだろうか。

業界に繰り返しゲームをもたらすSNS + PICSY

会社を離れても持続する個人的関係があれば,人生そのものが繰り返しゲームとなる。繰り返しゲームを生きていると,それが繰り返しゲームであることを理解している人々からの信頼度は上がる。ぼくの場合,いまいる会社の繰り返しゲームとは距離を置いているが,一部の技術コミュニティの繰り返しゲームにはいまも未練があるというか明確に意識している。それは足枷となることもある訳だけど,それだけコミュニティに対してよりポジティブな見通しを感じているということだろう。自分が明るい見通しを立てられるよう,自分で何か変える必要にせまられているのかも知れない。

ポストITSSとしてのSNS + PICSY

企業内での評価基準を汎用化してローミングさせるよりは,全てのエンジニアをSNS上の繰り返しゲームに置いてしまう方が現実的という気がする。STNの仕組みをうまく使えば,自社エンジニアを正しく評価した方が,リクルーティングが楽になるようにして,チートを防げる可能性がある。SNS上で採用することを検討しているプレーヤである限りは,自社から従業員に対する評価を正確につけた方が,リクルーティングが楽になるはずだ。

TODO主義と相互評価主義

これまで実地で用いられたことがあるのはpeer reviewへのPICSYアルゴリズムの応用であって,ラーメンシナリオをはじめとした取引シナリオでのPICSYの成功例はない。成功させるためには,物価や定価,利用者からみた分かりやすさなど,クリアすべき課題が山積している。CISEでは当初,TODO履歴を残して全てに対して貢献度を設定し,集計しようと目論んでいたが,この方法はコース的な取引費用が現金取引と同水準まで高まってしまうため,優位性を出すのは結構難しい。むしろ最初は,360度評価支援ツールとして始めた方が既存制度との親和性も,実用性も高いだろう。