雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

CISE

最初はPICSY人事評価(成果に対する分配)に対するアンチテーゼかとも思ったが,実際はpure PICSYは究極の繰り返しゲームなので,そうともいえないと考え直す。しかし現実にPICSYを報酬配分に使うには,何らかの形でPICSY的な価値をキャッシュに置き換えることとなり,そこのルールによっては成果主義的な弊害を招く可能性はある。そこはCISEで充分に検討する必要があろう。
CISEは"Corrabolation Infrastracture for Sustainable Efficiency"の略で,単なる目標管理では,数値化できる目標が短期focusたらざるを得ず,それは持続的ではないという価値観が背景にあったので,成果主義を刹那的と断ずる本書とフィロソフィーは近い。ただ,それをガバナンスで担保することに対して絶望した上で,取引システムとして「未来への期待」を再興しようとしている点が大きく異なる。
では,日本型年功序列,終身コミットメントの復活(ないだろうが)によって,CISEは不要となるのだろうか,わたしはそこには懐疑的だ。従業員に自己決定感を持たせ,日本型年功序列で終身コミットメントを担保できる企業は今や少ない。裕福な企業は本書の主張通り,社内での繰り返しゲームを通じて未来志向の行動を喚起できるだろうが,マクロ的にみて(という表現自体,高橋氏は嫌われるかも知れない),そういった恵まれた企業で身分を保障され得る人の数は知れている。
世知辛い世の中ではあるが,中長期に対するコミットメントを喚起できる取引システムがあれば,経済の成熟化に向かう日本のなかで,より多くの人が自己決定を自覚し,満足度の高いかたちで,いまコミットしている職場に対して中長期的な観点で働くこともできるのではないだろうか。