雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

「文化的雪かき」を超えて

知的生産の定義がはっきりしないんだけど、それってきっと教わることじゃないよ。ひとことに創造にまつわる仕事といっても、誰にでも出来て、必要に応じて身につけさせられる「文化的雪かき」的な仕事もあれば、内発的動機に従って自分から獲りにいかないと身につかない仕事もある。後者は何かの求められている世界に自分から飛び込んで、頼まれもせずに創造的な仕事を創っていくしかない。それはリスクが大きく報われることの少ない仕事で、もちろん避けることもできるし、そんな無駄骨を厭わずリスクを取るか否かは自分の胸先三寸だ。

確かに大学で色々プログラムを適当にさわって、あとはデータ構造とかアルゴリズムとか一通り学んだ。
新しく別の言語で書こうと思えば、大学の授業のおかげでだいたいスラッと入っていける。
でも!!
こんなんじゃ知的消費は出来ても知的生産は全くできないんです…
大学4年間、経ってみれば技能というよりは教養はついたのだろうけど、肝心の知的生産が出来ていない、出来ない。
だから大学では教養はいるだろうけど、それにプラス何かを生み出す力というものを学ぶべきだと思う。

学校じゃ学べば身につくことしか教えることはできない。アイデアをカタチにするための道具や教訓を、必要なとき引っ張り出せるように整理しておくための引き出しが教養だ。それは方法であって目的じゃないから、大学生氏のいうように知的生産そのものには結びつかない。会得した道具を何に使うかは、自分が社会に飛び込んで藻掻くしかない。口を開けて待っていても、向こうからやってくるのは「文化的雪かき」のような仕事ばかりだ。
そう、『羊をめぐる冒険』の主人公がコピーライターで、自分の仕事のことを卑下して「文化的雪かき」といっていた。僕が同書を読んだのは恐らく予備校時代だが、コピーライターという1980年代前半に於いてはクリエイティヴな仕事の代表格みたいな花形家業だが、当時から現場で働いているひとにとっては必ずしも自己実現としての創造というより、クライアントの顔色を見ながら右から左に耳当たりのいいコトバを捻る雪かきのような仕事なのだろうか、と考えさせられた。
僕は中学の頃から文章を書く仕事に就きたくて、幸い大学に入る前くらいから伝手でIT系ライターの仕事に携わる機会ができた。ただ仕事を始めてすぐ、このままライターの仕事に流されていくと大変なことになるぞ、と思い始めた。仕事で求められるのは右から左へとカタログ情報を編集して再構成する、或いはソフトを一通り触って操作方法を文章に書き下していく、そういう本当に「雪かき」のような仕事が大半で、鋭い洞察とかは基本的に求められない。そういう仕事って、自分でリスクを取って創って、評価を積み重ねて、需要を生んでいかないといけないんだ。
本当にクールな仕事って、口を開けていて待っていても周囲からは期待されないし、周囲に期待してもいけない。結局のところ神が降りてくることもあれば、降りてこないこともあるのだから。だから創造的な仕事、特に少人数で仕事の完結する文筆や音楽といった仕事では裾野を広めに持って、出来上がったものをピックアップして世に出す仕掛けができている。
記者とか、コピーライターとか、プログラマーとか、組織で客相手にスケジュール通りに創造しなければならない仕事もあるが、組織で計画的にこなす仕事では、リスキーなほどのクリエイティビティは基本的に求められない。優秀なマネージャなら、部下や外注先に神が降りてくることを期待した計画など立てないのだから。そういう知的生産ならば、学生の間に慌てなくとも、社会に出れば必要に応じて覚え込まされる。
楽をしようと思えば「文化的雪かき」に甘んじることもできるが、自分の自由と裁量の範囲内で、そういった組織的クリエイティビティの枠内で自分の自己満足としてオーバークオリティの仕事をすることもできるし、そういった本業は効率的にこなして時間をつくり、趣味として自由な創造に勤しむ方法もある。どちらにしても内発的動機付けをどうカタチにするかという問題であって、本当にクリエイティブな仕事の多くは、誰かに頼まれたから行うものではない。たまたま頼まれた仕事に絡めて表出することもあるだけだ。
日本は伝統的に寄り道的な創造に対して寛大で、そこから多くの知的生産がカタチとなった。富士通池田敏雄氏は、富士通がコンピュータ市場への参入を検討するきっかけとなった東証のパンチカードシステム導入案件をレミントンランドに取られてからも、こつこつ開発を続けてリレー式計算機を完成させたことは広く知られている。時代とともに富士通の主力事業が通信機からコンピュータ事業へと移り、池田氏はその中心人物として活躍され、若くして亡くなられたが今なお顕彰されている。
日本で最初に電子計算機を完成させた富士写真フィルムの岡崎文次氏は、レンズ設計課の課長時代「計算を素早くできれば優れたレンズをつくれる」という稟議で、ほぼ独力で真空管式電子計算機を完成させた。文部省が威信をかけて補助金を一点賭けしたTACよりも早く、だ。けれども富士写真フィルムのレンズ部門はFUJIC-1完成の翌年に富士写真光機に移管され、FIJIC-1も早稲田大学に寄贈された。 (参考) かつて富士ゼロックスにいた知人によると、岡崎文次氏について聴いて回ったものの、多くの若手社員は同社が日本で最初に電子計算機を完成させたことも、岡崎文次氏のことも知らず、当時の事情を知る人もあまり岡崎氏について話したがらないという。
結局のところアイデアをカタチにできるのは一握りで、カタチにしたものが評価され、事業として成功し、歴史を変えるとなると、その更に一握りに過ぎない。新しい試みなんて失敗するのが普通で、実装に成功したところで事業として成功しても歴史を変えないこともあるし、歴史を変えても事業としては成立せず、社内的に評価されないこともある。それは創造的かどうかではなく、たまたま時代と噛み合っているかどうかというか、周囲の物事や人々との巡り合わせとか、多分に偶発的なものだ。評価されている知的生産は氷山の一角で、大半の知的生産は、仮にそれが社会を支えていたとしても、地味に評価されないまま積み上がっているのだろう。それは嘆かわしいことではあるが、創造が内発的動機付けに基づいているならば、創ったものが動くところまで漕ぎ着けるだけで報われたのだという見方もできる。
折しも時代は間接金融から直接金融に移行し、経営の見える化とかいってIR重視とか内部統制とか、随分と世知辛い世の中になった。まだ日本企業はMBA上がりが跋扈する状況でもないが、やれイノベーションとか付加価値をどう高めるかといった議論が横行する割に、新しい何かは却って非常に産みにくい時代になっているように感じる。少子化とか経済の成熟といったマクロ環境と、世の中の矛盾を噴出させないために必要な経済成長率との辻褄を合わせるためにイノベーションへ期待するというのは、兵站や戦術を軽視して、神風頼みに戦略を立てる愚ではないか。
いろいろな意味で日本が息苦しい時代を迎えていることに対して、今こそイノベーションが必要なんだから!とか言い訳に、風穴を開ける余地ができるなら、それはそれで意義深いけれども、その辺の議論が噛み合っていないところにご都合主義を感じる。或る種の鉱脈のように、そもそも鉱脈が見つからないことだってあるし、見つかったところで大半の不純物から地道に何かを精製していくのだ、その過程で鉱毒を産むことだってある、というメタファーはあるかも知れない。そういう意味でイノベーションのために無駄骨を折ることを厭わないのは山師の仕事だ。
そして鉱脈を探すことこそ、山師にとって何よりの醍醐味である。穴を掘って何も出てこないことが大半だが、掘り当てた奴への羨望とか、ちょっとした何かでも掘り当てた手応えを経験したことがあれば、自分から血眼になって鉱脈を探すのだろう。そして誰からも山を探せとはいわれない。そういう指示を出してくる奴は何か根本的に誤解している可能性があるから、近づかない方が良いかも知れない。
大学ではきっと、山を掘る道具の使い方とか、土砂崩れを防ぐ技術を教えてくれる。身につけた技術を他人から頼まれて治水や築城に使うもよし、自分で山を探すもよし、山師の下で働いてみるもよし、ひとことに知的生産といっても様々な在り様があって、それは大学で何か教わるよりは、自分から自分の能力を活かせるところに飛び込んだ先にみえてくるのだろう。
社会全体が豊かになり、Webでフラット化したことで、様々な機会が多くの人に開かれるようになった。それが却って、何から手をつけていいか分からない学生の増えている遠因であるようにも感じる。けれども、物事を動かすリアリティというのは、物事と関わるフィードバックからしか生まれてこないのであって、特に学生の間は、誰も手を汚せとはいってこないのだ。そして会社に入ってからは、気づかないうちにスイッチングコストがどんどん跳ね上がり、気付かぬうちに囲い込まれていたりする。
「何かを生み出す力」は、何かが求められている場を探し、そこでの制約条件と自分の能力との兼ね合いを両にらみにしつつ、色々と生んで試行錯誤する中でしか育たない。それを追体験させる教育を行っている大学もあるだろうけれども、既に道具を掌中にしているんだったら、どこかしらアルバイトやインターンでも、オープンソースプロジェクトでも何でもいいので飛び込んで、実際のニーズに触れたり、「こうすればもっとうまくいくのに」と感じたら実際に手を動かしてしまうのが手っ取り早いんじゃないかな。それが成功しようとしまいと、何かしら物事を通じて社会と関わることの手応えは、きっとあなたの血や肉となるし、自分がどんな知的生産に対して心の底から楽しむことができるか少しずつ見えてくれば、次はもっと面白い居場所を見つけることが出来るかも知れないから。