エジソンの直流固執と日本電気の創業
「なかのひと」でみるとNECや日本ユニシス、富士通の方が熱心に読んで下さっているようだし、ちょっとしたトリビアをひとつ。知っているひとは知っているが、日本ユニシスも日本SGIも外資ではなく日本企業である。*1日本ユニシスの筆頭株主は三井物産で、日本SGIの筆頭株主はNECだ。むしろキヤノンやソニーの方が外国人持ち株比率でみると外資に近い。
ところでエジソンが直流に拘ったのは有名な話だが、大阪電燈でエジソンの意見に逆らって交流の良さを主張した岩垂邦彦氏は、エジソンの意見に逆らうとは何事かと会社を追われ、当時AT&Tに対し通信機器を一手に納めていたWestern Electricの日本総代理人になった。
その一方、「毎日歩き続ける」ことが、天才の視野を狭めてしまうこともある。エディソンがその典型的な例だろう。彼は最後まで交流(AC)の良さがわからず、直流(DC)にこだわりつづけた。
当時、日本では不平等条約に抗してパリ条約やベルヌ条約に加盟していなかったが、日米通商航海条約の批准に伴い、海外の特許や著作権を認めることになった。WEは通信や交換機に絡む知財を一手に握っていたが、それらの権利は1899年まで日本で認められていなかった。だから日本では海外特許を気にせず、自由に通信機器をつくることができた。日本のパリ条約批准にあたり、ようやくビジネスを始められると考えたWEは日本進出を決め、大阪電燈を追われた岩垂氏を日本の総代理人として起用したのである。
岩垂氏は当初、通信機器分野で事業基盤を確立していた沖電気の買収を望み、WEの知財を活用することで沖電気が更に成長できると説いたが、沖電気の創業者である沖牙太郎氏は自分の会社を外資に売ることを潔しとしなかった。WEの知財に商機を感じていた岩垂氏はWE資本の受け皿として1898年に日本電気合資会社を設立し、東芝や沖電気と同じ工部省電信寮製機所の流れを汲み、日清戦争後に倒産した三吉電機工場を好条件で買収して基盤とした。そして日本で米国特許が通用するようになった1899年7月、WEとの合弁で日本電気株式会社として改組した。
みんな日本電気のことを日本企業と信じて疑わないが、実は日米合弁の第1号だったのだ。そういった背景もあって、NECのCIリニューアル前の赤いロゴは、WEと同じフォントだったりする。余談になるが富士通も、古河電工と独ジーメンスの合弁で設立された富士電機から通信機製造部門を切り離すかたちで設立された。富士電機や富士通のフジとは、古河電工のフとジーメンスのジに由来している。国産ベンダのFNHと一括りにされがちだが、実は創業当初からの民族資本は日立だけなのである。
日露戦争までは沖電気が日本の通信機器市場を握っていたが、日本電気は創業から着実に通信機市場でのシェアを伸ばした。昭和初期にはシャノンよりも早くスイッチング理論の論文を発表している。戦後の朝鮮特需で東京証券取引所がパンクした時に東大TACの開発を指揮していた山下英男教授が、富士通信機製造を呼んで電子計算機をつくるよう勧めた時の殺し文句が「御社がいつまで交換機ばかりやっていても、もっと逓信省に食い込んでいる日本電気には勝てないでしょう」だったという。
この助言こそ富士通で池田敏雄氏が抜擢されるきっかけとなったが、残念ながらリレーの接点不良で肝心のデモは失敗し、東京証券取引所と野村證券には1954年、Remington Rand (現UNISYS) のUNIVAC 120が納入された。これが日本で最初のコンピュータ商用利用となる。そして東京証券取引所の案件をRemington Randに奪われても諦めず、池田氏が自発的に完成させたのがリレー計算機FACOM 100である。池田氏というと田原総一郎の書いた評伝『日本コンピュータの黎明―富士通・池田敏雄の生と死 (文春文庫)』が知られており、本書では池田氏があたかも自発的にコンピュータ製作を行ったように描かれ、それは一面の真実ではあるのかも知れないけれども、池田氏が社内で自由に動けた背景に、山下英男教授による助言と、東京証券取引所のプロジェクトがあったことは『新装版 計算機屋かく戦えり』が明らかにしている。
なお本エントリに書いた日本電気創業の経緯については『国際通信の日本史―植民地化解消へ苦闘の九十九年』に詳しい。本書では明治維新の混乱に乗じてデンマークの大北通信に長崎-上海-ウラジオストック間の国際海底ケーブルの権益を認めさせられ、これを取り戻すために100年かかっていること、日清・日露戦争で如何に通信自主が重要であったかなど、興味深いエピソードがいろいろ紹介されている。
例えば、大北通信にはロマノフ王朝の資本が入っており通信内容がロシアに筒抜けだったため、日本は日露戦争に先立って、日清戦争で手に入れた台湾まで国際海底ケーブルを引き、台湾-ベトナム間の海底ケーブルを持つ電話会社を買収し、ベトナム経由で英国のAll Red Routeに直接接続したこと、日英同盟の内容の半分以上が通信路の開設や暗号の共通化など、通信関連の内容だったことなど。価格も安いし非常に内容の詰まった本なので是非お勧めしたい。
みんな名前で何となく外資と日本企業で区別しているけれども、実際には歴史的にも、資本構成でみても、何を以て日本企業とするかは難しい。ただ様々な紆余曲折がある中で、日本に拘るにしても、外資の手先となるにしても、たくさんの気骨ある先人たちが日本のためを想って業界を築いてきたのだ。あと直流に拘るなんて今から振り返ると馬鹿っぽいけれども、日本でも電力会社が交流派を追放した歴史は覚えておいて損はない。寄らば大樹の陰、いつの時代も権威主義は大企業の中で根強いのである。
補足すると昔と違って直流でもインバータで電圧を容易にいじれるようになったし、交流を直流に変える時の損失は無視できない。感電に対する安全性など解決すべき課題もあるが、燃料電池やLED照明が普及した暁には再び直流給電が流行りそうな機運もある。実際、電力供給がボトルネックとなっており、バックアップ電源として電池や発電設備を使っているデータセンタでは直流給電が増えている。技術の前提はイノベーションによって変わってしまうこともあるのだ。という訳で世の中も技術も複雑だから、あまり先入観は持たない方がいい。