雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

世襲の法的規制は不要だが 政治資金の継承には課税すべき

親と同じ職業を継ぐことが世襲と広めに定義すれば、金融SEだった親父の影響を受けてIT業界に身を投じた僕も世襲である。幼稚園の頃から家にパソコンがあったし、生まれて最初に与えられた定規は端が欠けたフローチャートを書くためのテンプレートだった。政治家なんてSE以上に文化資本や人脈が生きるから、それなりに世襲政治家がいるのは古今東西かわらないのではないか。

親族の地盤や看板などを受け継ぐ「世襲」候補の立候補制限が衆院選の争点として急浮上している。世襲議員の多い自民党と、比較的少ない民主党との間で、対応に違いがあるからで、議論は過熱気味だ。

世襲政治家にも腰を据えて政策に取り組んで立派に業績を上げた先生はいるし、叩き上げ故に金回りで危ない橋を渡らざるを得ない先生もいるだろう。だから一般論として世襲か否か自体を論ずることに意味を感じない。小選挙区制となって以降、各党とも各々の選挙区で公認をひとりに絞り込む必要が生じ、世襲候補で枠を埋めてしまうと保守系の官僚出身者が枠を求めて民主党に流れ、世襲議員も党内競争の試練を超えて正統性を獲得する契機を失ってしまった。結果として構造的に自民党に優秀な若手新人が集まりにくくなり、保守系の新人が民主党に流れて、自民・民主の争点が見えづらくなったことは考えられる。
極論すれば選挙区の有権者が求めている限り、政治家は世襲で構わないのではないか。国民の世襲批判は小選挙区制で世襲候補が党内競争に晒され難くなったこと、中選挙区時代に当選した世襲議員が要職に就き、どういう訳か線が細かったり問題を起こす事案が増えて国民から疑念を持たれていることが背景と見受けられるが、本当に政治家が劣化したのか、マスコミがそういった醜態を昔より面白おかしく取り上げるようになったのか分からない。
同一選挙区からの世襲候補の出馬を禁じることが、必ずしも憲法の定める職業選択の自由に反するとは限らないが、あまり本質的な論点ではない。競争条件の平準化や他の職業との公平性でいうと政治団体間の寄付を通じた政治資金の無税継承の方が問題で、これは上杉隆氏が雑誌やWebで指摘し続けているにも関わらず与野党とも争点としていないことは理解に苦しむ。子息の地盤継承を応援会はじめ有権者が求めているのであれば法律で一律に縛るのは望ましくないし、それが民意とかけ離れているようであれば、投票を通じて結果が出るのではないか。
いずれにせよ政治家の世襲に賛成するか否かに関わらず、課税の公平を図るために政治資金の継承に対して通常の相続税率をかける法的措置は必要だ。そして政治家の世襲に反対する政党なり政治勢力は、同一選挙区からの立候補に対する法規制より前に、内規を通じて公認候補の世襲を禁じて民意を問えば良い。逃げ切り批判に対しては現職の世襲議員に国替えを義務づければ、強烈な政治的アピールとなる。いずれにせよ親族と同一選挙区から立候補したところで落ちるときは落ちるのだから、同一選挙区での世襲候補を制度的に制限したところで有権者の選択肢を狭めるだけではないか。