雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

個人のチカラと産業の役割

それにしても生産性って不思議な言葉だ.開発生産性は個人によって数百倍もの生産性格差がある.収束できないところまでコードにバグを埋め込んでプロジェクトを駄目にしてしまうプログラマもいることを考えると,マイナスの可能性まで考えると100倍どころでは済まない格差がある.
不思議なことに人月モデルでは,コケたデスマーチプロジェクトであっても,支払われて売り上げが立っている限りバグを埋め込んでいようが,よく考えれば書く必要のないコードを捏ねていようが,付加価値は生まれている.一方で超優秀なハッカーオープンソースプロジェクトで瞠目するような素晴らしいコードを書いたとしても,それ自体によって経済価値は生まれないし,生産性を測ることはできない.
たぶんマクロ的には,外部のプロジェクトの生産性を高めるというかたちで経済全体の全要素生産性を大きく押し上げている可能性があるけど,測定や評価をする方法は確立されていない.それにオープンソースプロジェクトは日本だけでなく世界中から参照可能なのだから,日本の比較優位には必ずしも結びつかない.
GoogleMicrosoftがたくさんのhackerを抱えて素晴らしい環境を用意することというのは,そういったソフトウェアに関わる知的生産の外部効果を,組織として享受できる受け皿をつくろうということなのだろうか.未踏ソフトウェア創造事業に関わった政策担当者のひとりも「本当はスーパーハッカーばかり集めた研究所をつくりたかったんだけどね」といっていた.実際に未踏でスーパークリエイター認定を受けた連中が少なからずGoogleに流れたことを思うと,あぁ受け皿って大事なんだなとか実感する訳だが.
そもそも経済価値とは絶対的な創造への絶対的な評価ではなく,結局のところ相対的な差異に過ぎない.いささか月並みな話になるが,ハッカーが経済的に高い生産性を発揮するためには,そのための舞台装置やプロデューサーも必要なのである.シリコンバレーから次々とベンチャーが生まれるのは,優秀なgeekたちがそこに集まっているだけではなく,彼らに気前良く投資するエンジェルやベンチャーキャピタルがいて,基礎研究に対して潤沢な投資を行い,いいものをつくれば気前良く大枚叩いてくれる政府機関があって,うまく目立てば会社ごと買い取ってくれるGoogleやYahooがあるからである.
日本でも小さいけど似た構図があって,半導体からOS・ミドルウェア・サービスまで自前で用意できるITベンダが3つも生き残ったのは電電公社が独占利潤を研究開発投資としてファミリー企業に流したからだし,渋谷近辺でビットバレーと呼ばれている何かが生まれたのもNHKがコンテンツ関係で結構な投資をしてたからだと指摘するひともいる.裏を返せば日本のIT産業がガタガタとなる予兆は1985年の通信自由化にあって,バブル崩壊以降,その弊害が顕在化したという見立てもできる.産業構造という点では,米国のいいなりに自由化をした割に大人になり損ねた,他人の背中をみずに成長を模索する仕掛けを作り損ねたのだろう.
こういったことをかつての通商産業省は知り尽くしているはずで,かつてはスプートニクショックで米国がDARPAを立ち上げたことに対抗してIPAをつくったり,ちょっと前でも第5世代コンピュータが挫折した後に数年に渡って,米国に於けるイノベーションパイプラインや研究開発投資の流れについて,非常に詳細な報告が公開されている.
つい最近だって,例えば法務省に出向して会社法改正をやって会社をつくりやすくしたのも経済産業省の官僚だし,会社ではなく個人に補助金を出し,目利きを育てようという未踏ソフトウェア創造事業,技術者の能力水準に対する評価を会社を超えて通用させることで雇用流動性を高めようITスキル標準など,砂場遊びではなく枠組み作りをやろう,うまく行くか分からないけど社会を変えていく努力をしようという気概を感じた.
にも拘らずここ数年,経済産業省から出てくる政策には明らかな勉強不足を感じる.例えば本blogで何度か取り上げている情報大航海について,予算規模からいってGoogleに敵わないからダークマターに着目したのだという擁護論があるけれども,これほど勉強不足を露呈する言い訳はない.もともと検索技術って米国の諜報とかテロ対策のための数十年のダークマター関連の投資で基礎技術が育って,その蓄積の肩の上に乗ったところからスタートしてシリコンバレーのエコシステムでブレイクしたのがGoogleであって,これからダークマターって,一昨日おいでよじゃないの?DARPAはもうRoboticsとかBrain-Machine Interfaceで面白い方に向かってるのに,みたいな.閑話休題
まあ僕も弾さんがいうように,飛びぬけて優秀な個人が暮らしたくなるような国づくりこそ重要だという意見には賛成だ.とはいえ,超優秀なハッカーの卵だからといって,最初から優秀で経済的に自立している訳でも,ベンチャー企業を上場させて大金持ちになれるとも限らないんだから,居心地の良さだけじゃ不十分で,ダイヤの原石を磨く社会的な仕掛けとか,海外にいるダイヤの原石を引き付け得るインフラも大事なんじゃないの?
例えばBill GatesはLake Side Highschoolに在籍していた時分,当時まだ1970年代だったけれどもPTAが「これからはコンピュータの時代だ」というんで寄付を募って学校にテレタイプを置いて,タイムシェアリングサービスを借りた訳だ.彼は授業そっちのけでコンピュータールームに入り浸った訳だけど,30年以上前の日本でコンピュータを生徒に触らせた学校なんて殆どないだろうし,ましてや授業そっちのけで入り浸れる学校なんてなかっただろう.30年以上経って,IT産業がこれだけ大きくなった今でさえ,ね.
プログラマの能力を結果で測って仮に100倍とか100万倍の格差があったとして,駄目なプログラマと超優秀なプログラマとの間に,顕著な脳機能の格差があるとは思えない.素養もさることながら学び方とか意欲とか自信の問題も大きいのだろうし,結局のところ,できるだけ広い裾野に対して,最大限に能力を引き出す環境を用意して競争させることが重要ではないか.そういう意味では,人口が多くて経済が発展途上の中国やインドの方が,優秀な人材がIT業界で頭角を現す可能性は高いのではないか.
弾さんの想定しているような,自分で国境を越えて居場所を選ぶコスモポリタンはプログラミング能力に関わらずほんの一握りであって,グローバルに通用する能力を持っていながら,ローカルな居場所に甘んじるひとの方が多いのではないか.何故なら,コスモポリタン的な生き方を選ぶこと自体が,プログラマであることと別の特殊な生活能力のひとつだから.
そういった意味で,日本がコスモポリタンハッカーにとって一つの聖地となるとすれば素晴らしいことだと思うけれども,マクロ的には教育改革で出遅れ,産業構造は旧態然としていて,人口は中国やインドよりも一桁少なくて,豊かかつ少子化で競争らしい競争のない日本というのは,やはりマクロ環境として非常に厳しい気がする.これから世に出る優秀な奴は中国やインドからの方が多いだろうし,日本人でも世界を相手にしようという奴は,東京ではなくシリコンバレーで起業するのではないか.例えばIP Infusionの石黒さんや,はてなの近藤さんや,Infoteria USAの江島さんのように.
僕はそれはそれで素晴らしいことだと思うし,そういう日本人コスモポリタンも織り込んだ上で,日本がどういう立ち位置で持ち味を生かしていくかを考えていくことが重要だと思う.もはやアメリカを真似たって成功は約束されていないのだし.そういう諦めの上に,現実的な立ち位置を考えることが大事だ.世界最先端の云々とかいう事大主義とか,志を小さく持って失敗しないようにするのが一番いけない.だいぶマシになったとはいえ,まだ日本は突出した個人が磨かれ活躍できるようになっていないし,彼らが経済的に居場所をみつけるようにもできていない.弾さんのいうように,日本が成熟した民主主義国として中国やアジアの他の開発独裁国では難しい創造性を売りに立ち位置をつくろうとするのであれば,やるべき改革が山積している.

だから、ソフトウェアの生産性を決める一番の要素は、問題を選ぶ自由度と解き方を選ぶ自由度。だから、「ほにゃらら産業」といった時点で実は負け、その時点で産業という「解き方」を指定しちゃうんだから。何が間違っているといったら、主語が間違っている。「日本人かインド人か」ではないのだ。この主語は実は個人名でしかありえない。
(略)
とはいえ、「生産性」という言葉を語るときには、「何を生産しているのか」が問題になる。上で述べた生産性は、「ある人が投じた労力が、その人まで含めた人々にどれだけ面白い経験を与えたか」という点では非常に生産性が高くても、「ある人が投じた労力が、その人にどれだけの金をもたらしたか」という点においては心もとない。