雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

震災から1週間 新たな国づくりへ向けて

震災から1週間が経った。東京では相変わらず携帯の発する毒々しい緊急地震速報に怯え、原発や大停電を心配し、食糧の調達に不安を感じながらも、徐々にそれが日常となりつつある。公共交通機関のダイヤが乱れ、商店街は早く閉まるなど、それなりに難儀しているが、食糧や燃料の不十分な中、ここ数日で寒くなって雪の降る被災地とは比べるべくもない。天皇陛下が記録媒体を通じてお言葉を発信するのは玉音放送以来というが、この震災は日本にとって敗戦に次ぐ正念場であり、向こう数年の展望と決断が、今後のこの国の在り方を大きく変えるのではないか。
原発は引き続き予断を許さないが、事態の収拾へ向けて最大限の努力が続けられているし、仮に最悪の事態に陥ったとしても原爆ほど酷いことにはならない。長崎に原爆が落ちたとき祖母たちは福島と東京よりも近い九州にいたが、父母そして僕はちゃんと産まれてきた。広島も長崎も短期間で立派に復興した。福島も必ずや短期間で復興するし、そうすることが日本と世界にとっての希望となる。
当時と違って放射線の観測体制が完備されており、文部科学省は迅速に結果を公表している。民間や自治体でも様々なところで放射線測定が行われており、政府が国民に対して危険を隠蔽できる時代ではない。放射線放射性物質への対処のための知識は確立されており、必要に応じて粛々と放射能汚染を阻止し、パニックや風評被害、いわれなき差別が蔓延らないよう内外で啓発することが重要だ。
復興の槌音高く被災地の交通が復旧しつつある。避難から復興・生活再建へと気持ちを切り替えるべき時期が近い。復興のための補正予算が組まれ、新たな優先順位に従って政策を組み立て直す段階にきている。産業にとって当面の課題は電気の不足だ。当面は気温の上昇に伴って暖房による需要が減るものの、夏へ向けて冷房に必要な電力が足りなくなる。そうでなくとも被災地が復興し、工場が再稼働し、ひとの命を繋ぐ病院が機能するためには多くの電力が必要だ。
既に稼働できる火力発電所は全面稼働しており、地球温暖化対策は棚上げされて老朽化した効率の悪い火力発電所の再稼働も急ピッチで進められる。それでも夏の旺盛な電力需要を賄えるかは疑わしいし、原油高の折に発電費用の急騰は免れない。
わたしは南関東から避難する必要性を全く感じないが、疎開できるひとは西日本に疎開した方が望ましいと考える。そうすることで交通や物流の混乱を避けつつ燃料を被災地に回せるし、生活電力需要が少なくなった分だけ人命維持や復興に必要な電気を病院・工場に回し、或いは火力発電所の稼働を減らして燃料を節約し、二酸化炭素の排出量を削減できるからだ。
政府は東西分散労働とテレワークを円滑に進められるよう規制・制度を大胆に見直し、行政サービスを広域で提供できるよう国と地方の役割を見直し、新たな制約条件に受け入れて産業政策を組み立て直すべきだ。
判子や紙の書類を電子メールに置き換え、会議への電話参加を認めれば、在宅勤務で処理できる仕事の幅は格段に広がる。これらを特に阻害する法律はなく、法改正を待たず今すぐ始められる。古い慣行を自分からは捨てられない会社のために、政府が率先して地域分散労働や在宅勤務を実践し、電子化を阻害しがちな法令の解釈基準を示せば呼び水となるのではないか。民間が本社機能を大阪や福岡に移しやすいよう、霞が関の機能を西日本に分散させてはどうか。
被災者の中には戸籍も住民票も津波で流されてしまい、自治体ごと消失した地域にお住まいの方も少なくない。被災者の生活再建と被災自治体の復興を迅速かつ円滑に行い、同様の惨禍を二度と起こすことのないよう、国が基礎自治体に委ねている行政サービスについて、情報技術の活用を前提に新たな役割分担の在り方を考え直す必要がある。
そして今回の震災を受けて、日本の置かれた制約条件は大きく変わった。新たな制約条件に応じて産業政策を大幅に組み替える必要がある。数十兆円の新たな復興需要が生まれ、需要不足とデフレの時代は終わり、一方で燃料や電気、労働力は不足するのではないか。今回の計画停電によって分散電源の価値は高まった。太陽電池や家庭用燃料電池は環境対策だけでなく、計画停電時の電気の継続供給に必要なライフラインとして認知されるだろう。一方で電気自動車の普及は見込みより遅れることが予想される。
限られたエネルギーを経済成長に使うか、国民の生活に使うのか、しばらく頼らざるを得ない原発とどう向き合うか、新エネルギーをどう開発すべきか。原発事故で損なわれた日本ブランドを復活させ、エネルギーコストが上がる中で国内での雇用確保と企業の国際競争力維持を両立し、これまでも直面していた社会保障費の増加や財政悪化にも対処する必要がある。
いま私たちは終戦後の数年間がそうであったように、この国のかたちを決定的に左右する重要な局面に置かれている。終戦直後のような焼野原ではないが、国民の生活水準が高く、背負うべき生活が重い中で、難しい舵取りを迫られる。占領期のような外圧頼みではなく、日本人自身が舵を握っている点も大きな違いだ。避難から復興へと気持ちを切り替えて、新たな日本のため自分に何ができるか、地道なところから考えたい。