雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

猛暑対策、時計はいじらず早寝早起きで済むのでは

世界で最初に夏時間を提案したのは米国の政治家ベンジャミン・フランクリンだと言われている。彼は駐仏大使だった1784年、”The Journal of Paris”に“An Economical Project for Diminishing the Cost of Light"というエッセイを寄稿した。 

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First page of Benjamin Franklin's anonymous letter to the editors of the Journal de Paris, April 26 1784

たまたま朝3時か4時くらいに帰った日、騒がしいので朝6時くらいに起きたら、もう明るい。それから何日も早起きして確かめたんだけど、やっぱり明るい。こりゃあ夏場に早寝早起きして日照時間を有効に活用できれば、結構な節約になるんじゃないか、というところまでは誰もが考えそうな話ではあるが、その先のフェルミ推定と政策提案がぶっ飛んでる。

6ヶ月の間に毎晩7時間の明かりをパリに住む10万世帯が消費しているとして、6405万ポンド分の蝋燭と獣脂を消費しており、この相当額を夏時間によって節約できる。窓の遮光シャッターに課税し、蝋燭や獣脂の販売を統制し、日没後の馬車の往来を制限して、毎朝日の出とともに教会で鐘を鳴らして人々を起こしたらいいじゃないか、と随分と荒唐無稽な物言いなので彼一流の冗談といわれてきたが、よく読んだら戒厳令とか総力戦の匂いがする。

英語で夏時間のことをSummertimeまたはDaylight Saving Timeというが、ベンジャミン・フランクリンの主張は日照時間の有効活用だった。時計の針を動かそうなんて一言もいってないし、日の出ている時間に仕事を有効活用することで照明に要する蝋燭の消費を減らそうという提案は日本でいう「ゆう活」に近い。

いずれにしても当時この提案は気の利いた与太話に過ぎず、実際にサマータイムが実現したのは百年以上も経った1916年、世界初の総力戦となった第一次世界大戦下のドイツとイギリスにおいてであった。その後も世界大戦時にエネルギーの節約のため検討されて、オイルショック後に改めて見直されて広がった。日本もこの時期に夏時間を導入していれば、情報システムも未熟で面倒なことにはならなかったかも知れない。

パリで提案されて、大戦中にドイツとイギリスで具現化した夏時間が、今ではEU法EU全域に義務付けられ、そもそも高緯度で日照時間の長いフィンランドの叛乱で見直されている最中にある。ドイツといえば気の毒だったのは、第二次大戦後の占領期に2時間オフセットの夏時間を押し付けられたことである。しかも4月と5月に1時間ずつ時計の針を進めて、9月と11月に時計の針を戻すというものである。ドイツの標準時を2時間ずらすとモスクワと同じタイムゾーンになるので、要するにそういうことだろう。

人間中心に考えると2時間の時差を1度に動かすのではなく、1時間ずつソフトランディングするやり方は、サマータイムによる時差ボケや寝不足を緩和するには悪くないアイデアかも知れない。技術屋としては断固拒否したいところではあるが、1945年から1947年にかけてであればコンピューターが事務に使われる前だし、何せナチス・ドイツの崩壊後ドイツがどう欧州社会に受け入れられるかという時に贅沢もいえなかっただろう。

これは改めて試算した方がいいが、20世紀中盤まではサマータイムによる省エネ効果がそれなりにあったんだろう。当時のエネルギー・電力需要の多くは照明であったからだ。日本でも明治時代の名古屋近辺ではガス灯を使っていた遊郭がガス漏れで全焼し、これを機に電気を入れようと武士上がりの電力会社に大口割引を持ちかけるも門前払いにされて、腹を立てて遊郭で資本を出し合って電力会社をつくり、同じ名古屋で血で血を洗う料金競争をやった末に合併したみたいな話があるくらいで、VHSビデオデッキどころか電気の普及もエロに支えられていたし、電気需要の結構な割合は照明だった。閑話休題

白熱電灯が電気のキラーアプリだった時代であれば照明による電力消費が大きく、こいつを日照時間の有効活用で減らすのは有効だったんだけど、電化製品が多様化して電力消費が激増し、照明は白熱灯から蛍光灯やらLEDに光源が変わった段階で、エネルギー消費に占める照明の割合はガクンと減って、いま省エネを考える上で重要なのは空調機器になってしまっている。夏の暑さのピークをどう乗り切るかが重要な訳で、まさに猛暑対策こそ鍵なのである。

それを前提とした試算としては、東日本大震災時の直後に産総研がまとめたものが知られているけれども、時間を1時間早めても空調の消費電力が増える、1時間遅らせたら消費電力が少し減るかもね、という結論で、2時間早めたら効果があるなんてことはどこにも書かれていないし、とてもサマータイムの話には結びつきそうもない。

今回の発端となった競技に適した気温という話になると、それこそサマータイムなんか何の関係もなく、午後の競技もあるんだから一律に前倒ししたら却って暑くなる時間も出てくる訳で、マラソンは早くしようとか、この競技をどうするとか、個別に日程を調整すればいいことであって、日本全体で時計の針を動かす理由はどこにもない。

それこそベンジャミン・フランクリンの提言通り早寝早起きして日照時間を有効に使おうぜ、という話であれば、費用も時間もかからない訳で、悪い話など一つもないのである。時計をいじって日本中の人々を振り回そうとするから、情報システムはじめ余計なコストがかかるし、時差ボケやら寝不足で交通事故やら心筋梗塞が増えてしまうのであって、本来まずは元気な人から自主的に早寝早起きすれば済む話だ。

もちろん時計をいじらずに通勤を前倒ししようとした時に、交通機関やら保育所の問題が出てくるけれども、この辺の手当だけであればサマータイムよりもずっと小さな費用で改善できる。それこそ「ゆう活」の延長線上で検討すべきだろう。