雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

自分が使い捨てられるのが怖くて会社を使い捨てる生き方

ぼくが大学に入って間もなくアキバの雑居ビルにあるジャンク屋で店番をしていた頃,DOS/Vの普及でパソコンの価格が暴落し,消費税が5%になって客足もパタリと止まり,メモリとかも潰れた問屋からのフロア買いが横行して香港のスポット価格よりアキバの店頭価格の方が低いという無茶苦茶な状況になってたんだけど「あのいい歳して量販店の店頭でハッピ着てパソコン売ってるおっちゃんたち,20年くらい前は系列SI業者でRPGとかJCL使ってホスト運用してたんだぜ」とか店長にいわれて,あーIT業界というのはこうやってヒトを使い捨てにしていくのか.グループでずっと面倒みてくれるのは親切という気もするけど,恐ろしい世界だな,と思った.自分はどう生きれば,20年後にハッピ着て量販店の店頭で接客しているのではなしに,自分の経験を糧に,周囲から尊敬され,やり甲斐のある仕事にありつけているんだろうか,と悩み始めた.
間もなくジャンク屋は潰れ,僕は出たばかりのECサイトで汎用機+UNIXサーバーからNTサーバーへの移行で運用コストを数分の一にするというコンサルティングの仕事をした.月に数十件しかないトラヒックを,Web系はCのCGIビジネスロジックは汎用機で処理するという無茶苦茶なシステムだったから,赤子の手を捻るようにコストを削減できたけども,何でもグループ会社の発注先にCが分かる奴,Cobolが分かる奴しかいなかったから,そんなヘンテコなシステムが出来上がったらしい.当時大学生だった僕が,発注先とそこを背後で操っている汎用機ベンダのSEを並べて片っ端から論破したら,ボスのところに発注先の社長から「コスト削減のために,ちゃんと新しい技術を勉強するから半年くらい待ってくれないか」と泣きが入った.それを聞いたボスは「君たちは他を知らないで,こちらをカモと思って不必要に何倍も高いシステムを売りつけたのか」と激怒してグループ企業である発注先を切り,ベンダ探しから僕が担当することになった.技術者としてのキャリアも,前の会社や今の会社とのコネも,よくよく考えてみるとこの仕事にはじまっていて,僕に全てを任せてくれた当時の社長には今も足を向けて眠れない.その仕事も一段落した頃,やっぱり自営コンサルという業態で背伸びし続けることの限界を感じて就職した.
前の会社では最初の1年くらいは不得手な仕事で修行をさせてもらったけれども,ネットバブルとか諸々あってサイトの立ち上げを何件かやった.だいたい,サイトが立ち上がるまでは誰もが僕に依存しているので権限が集中するのだけれども,立ち上がった途端に政治的に動く奴からねじ伏せられる.僕もガキだったし,オヤジたちと張り合いながら出来上がってしまったシステムをメンテするのは馬鹿馬鹿しいし,新しいサイトのことを考える方が楽しかったので,潔く身を引いた.会社からも暗にそうすることを求められていた.「君は引く手あまただけど,君の喧嘩相手はそこにしか居場所がないんだから」と.いわれた当時は理不尽だと思ったし,自分の好き勝手にやらしてもらえれば不具合は減って業績だって改善すると思ったけど,自惚れかも知れない.
ひどくしんどいSI仕事をこなした後に脱力して社内NEETとなり,1年くらい無線LANの研究をやったり,所長の代わりに役所の研究会に顔を出したり,ベンチャーを値踏みする手伝いとかをした.その後,いまの会社から僕に相談があり,真面目にやると重そうな仕事だったので会社で受けた.会社の財務は最悪な時期だったし,結構な数のエンジニアは暇しているのに,上長は暇なエンジニアが僕より5も10も年上だというので部下はつけてくれなかった.仕方なく暇してる年上の同僚を自分でみつけて仕事を頼んだ.仕事量を手加減して,彼の独立準備を手伝ったりもした.半年仕事して,先方からは契約を継続・拡大したいといわれたのだが,相変わらず部下をつけてくれる気配も給料を上げてくれる気配もないし,手伝ってくれた同僚も独立して僕に転職を促す始末で,彼とやはり転職した別の同僚から唆されるかたちで会社を見切って客であった今の会社に転職した.人事制度改革の対案を出すべく,人事について勉強しまくったのはこの頃だ.
転職先は外資という割には日本的な会社だった.潰れかかってた会社で従業員がまるで働かないところをみていた僕は,どんなに自分が仕事をサボってもびくともしない会社で,何故みな真剣に仕事するのかという疑問を持ってその会社に入った.けれども理由は簡単だった.指標を決めて,達成度に応じて確実に報いるという単純な仕掛け.仕事そのもののやりがいとかプライドとか,ビジョンの共有とか透明性とか.けどそれができるのは儲かっている会社だからだよね,努力指標と利益とが必ずしも連動しない訳で.それに,どんな会社,どんな仕掛けでも,働いているひともいれば働いていないひともいる.きっと世の中なんてそんなものなのだろう.
まだ入社して間もない頃,競合の旧式製品から自社製品に乗り換えさせる仕事を専門にしている米国本社のコンサルタントを呼んでセミナーを開く機会があり,酒の席で「日本ではシステムを担当する技術者のこだわりで,旧いシステムを簡単には捨てられない.彼らが新しい技術を習得する期間や費用を考えると,必ずしも割安といえないのではないか」と聞いたら「決まってるじゃないか.人材ごと入れ替えるんだよ.それを経営者に説得するのが僕らの仕事だ」といわれた.納得.簡単に人の首をすげ替えられるなら,システムもすげ替えられるよな.米国でうまくいっている方法が日本に当てはまらないのは,日米で雇用慣行や業界構造が違うからではないか,とか真剣に考え始めたのはこの頃からかな.
(まだあるけど後で書く)
とりとめもなく書き進んできたけど,だいぶ前から情報サービス産業で昔ながらの終身雇用・年功序列でやっていけるのだろうか.特に大手SI事業者でオープン系で儲かっていないことの背景に,オープン系の技術とか,それらの技術を価値づけるコスト計算の手法が,米国の雇用慣行を前提としていることで,そうでない仕組みでそういった技術を取り込むことが,ひどく高コストになっているのではないか,或いは技術者を使い捨てざるを得ない世界をつくっているのではないか,ということを考えている.
自分が使い捨てられるのが怖くて先に自分から会社なり組織に見切りをつけてしまうという生き方は決して問題の解決にはなっていないけれども,自分のことを自分でどうにかできるようになってから,時間をかけて世の中のことに目を向け,できることがないか試行錯誤しているところだ.

現在の日本企業の多くは、長期勤続を通じて高度な技術・技能を蓄積させ、かつその相当部分は自社に独自・固有な一種の企業特殊的熟練とする(なる)ことで競争力を高めるという人材戦略をとっています。そこで解雇が頻発するようになれば、企業に独自な熟練を形成した労働者が解雇されたときの不利益は非常に大きなものとなります(そのため、長期雇用については厳しい解雇規制が存在するわけです)から、これに対するインセンティブが低下し、結果として生産性の絶対的な水準が低下する危険性はきわめて高いと思われます。