雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ガラパゴスで暇人は国富に非ず

原稿がさっぱり進まないのに、またブログを更新している。本当に救いがたいな。けれども誰だって試験の時期に限って部屋を片付けたり、締め切りが迫っている時に限って「これで生産性が上がるんだから」とか言い訳して.emacsを編集したりするだろ。人間ってそういうもんだよ。
たぶん暇は暇人を厚く遇したところで*1創造性を刺激しない。それに昔から小人閑居して不善を為すというし、暇人を増やしたら犯罪者が増えることは統計が証明しているAttention Economyって結局のところ実体経済の購買力に寄生して広告費や販管費を巻き取るように成長している訳で、英語のブログで他国の購買力を動員できるならともかく、日本のように言語圏も商圏も閉じている社会で暇人が増えたって、マクロ的には蛸が自分の足を食うような話にしかならない。
あくまで国民に勤労の義務があるという枠組みは堅持すべきではないか。その中でゲーム内でのRMTや、クラウドソーシングといった、従来の労働観念の枠を超えた商売が出てくることは悪い話ではないし、生活保護制度にある労働意欲や預貯金を減退させる等の弊害を解消するために、ベーシック・インカムのアイデアは使えるかも知れない。

はじめに一番強調したいことを言いますと、「労働=義務」はもうやめよう、労働と生存を切り離して、誰もが生きているだけで生きるのに必要な金銭を得られるようにしようよ、ということです。(略)
最近「ベーシック・インカム」という考え方に興味があります。「ベーシック・インカム」というのは、生存するのに必要な金銭を個人に無条件で保障する、という制度構想です。「構想」とあるとおり、実際に行われているわけではないのですが、国際的な研究組織もあって、世界的に注目されています。

ブログサービスの供給者になって考えてみればわかりますが、みんなが汗水流して朝から晩まで働いていたら、ブログを書いてくれる人はいないでしょう。ブログというのは、まず数が無いと面白いものは出てこないし、最初から面白いブログを書く人を見つけることは無理。それにたくさんのブログがからみあうことでコンテンツの魅力が増すので、とにかく暇人がいっぱいいる国の方が楽にトラフィックを稼げるので、サービス提供者は儲かります。
(略)
暇人が社会のインフラなのですから、全員がそのための負担を担うことは当然です。労働力が重要な時代には教育が社会のインフラで、その為の費用を社会全体で負担したことと同じです。

誰かの役に立っていれば、何らかのかたちで価値を顕在化できるはずだ。個々人に対する生活保障ではなく公益事業への優遇を通じて、雇用の拡大を図ることもできる。多様な価値観に適応させるには、政府が補助金を積み増すよりも、寄付税制を充実させた方がいいだろう。
低所得層の問題は、労働時間が長く賃金は低いため、職業能力への再投資を行う余裕がなく階層間移動の機会を奪われることである。労働規制などを通じて、仕事なり余暇を通じて自己実現を図る機会が確保されるべきだ。また、特に最近の低所得層は、頼れる知人などの生活基盤が脆弱なケースも多く、働かないことで却って孤立を深める懸念もある。
従って福祉の増進を図り、階層間流動性を高めようとすると、単純なベーシック・インカムよりも公益事業への補助を通じた雇用拡大や、労働法規の厳密運用で余暇の充実とワークシェアリングを図ることが有効で、その方が暇人に給付金を撒くよりもネット文化の爛熟に資するのではないか。
いっぽうで富の再配分にベーシック・インカムの手法を持ち込む可能性は非常に興味深い。現在の生活保護のように給付基準が厳しく、また職員による裁量を認めてしまうと、本来は生活保護の対象であってもプライドや預貯金など人生設計のために申請を行わなかったり、申請しても職員にノラリクラリと躱されて給付を受けられないケースが出てくる。また、預貯金を認めて働けば働くほど豊かになる仕組みにしなければ、労働や人生設計への誘因が働かない。理論的には年金・生活保護・児童手当などを一元化して、個々人の尊厳を尊重し、単純かつ恣意性の働きにくい枠組みに再編すべきだろう。
けれども全ての支出を個々人の裁量に委ねることには反対である。特に子供の健康と教育は、親の裁量に委ねる訳にはいかない。例えば2ch世帯年収100万円〜300万円スレをみていると、小学生の兄弟を持つ親が医療費を払えず病院に連れて行けずに拗らせて、40度以上の高熱となってようやく救急車を呼ぶ話が出てくるが、これなど愚の骨頂ではないか。風邪をひいた時点で病院に掛かっていれば子供の苦痛も拗らせるリスクは小さく、医療費も抑えられ、救急車を呼ぶ必要はなかったはずである。親も自治体も医療費を抑えようとして、けっきょく子供を危険に晒した挙げ句に無駄な支出を増やしたのだから。
日本は国民皆保険で、世界で最も費用対効果の高い医療制度を築いてきたのである。現在でも都市部であれば小学生も医療費は無料だが、こういった福祉水準は地方分権といわず、全国一律で18歳未満の医療費と教育費は無償化すべきだ。医療に限らず、子供に割り当てられる給付金については使途を縛る必要がある。低所得の親ほど子供向けの給付金に手をつける可能性が高いし、少なくとも親の賭博や酒代に使われては趣旨に反する。子供は親が馬鹿でも逆らえないのである。
ベーシック・インカムは、いまの社会保障制度が持つ矛盾を解決できる可能性がある。税制の在り方などとも一体的に引き続き議論を深めるべきだろう。また成人に限れば、早死にしてもいいから病院に行かず賭博や飲酒にカネを使いたい、苦しみながら周囲に迷惑をかけて生きるよりは自殺してしまいたいといった、多様なQuality of Lifeの価値観に対して、どこまで自己決定権を認めるべきかについても、経済的側面だけでなく倫理や社会常識、公共の福祉との兼ね合いも含めて多面的な検討が必要となるだろう。

*1:20:45追記: 弾さんは分かってて誤読するからなぁ。人が悪い。取り急ぎ誤読のないように修正。主張の趣旨としてはNEETを厚遇するのではなく、忙しい人に暇をつくらせることこそ創造性を育むために重要だということ。仕事を持っていても暇こそが創造や教育に不可欠であるという点は同感。どんなに予定が埋まってTODOリストが溜まっていても、心を亡くしては却って悪循環なのだ。