雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

古典的なメディア・スタディ

テレビゲームをみると馬鹿になる、テレビをみると馬鹿になる、本を読むと、勉強すると馬鹿になる。この手の世代間格差って民衆のレベルでずっとあったのだろうし、それに便乗した社会学研究も昔からあって、悉く玉砕しているのも歴史的事実ではある。まあ、カメラの前でしゃべっている人々は、お茶の間に合わせてメッセージを組み立てている間に、自分の知性までお茶の間レベルになっているのだろう。それで商売になっているなら、それはそれで結構なこった。

携帯サイトが極端で一面的な形で報道されるから子供が心配になるのではなくて、子供が心配であるがその根源的な原因に直面したくないから、そこから逃げる為に他の理由を探しているのだ。その罠にピッタリはまってしまったのが、携帯サイトでありインターネットでありゲームなのだろう。

まあ僕自身いつから老害になるか分かったものではないが、人間の歴史なんて、こういうことを繰り返してきているんだろう。確かにネットは身体感覚とか諸々のものを不可視にしてしまうが、それが結局のところ人間性に対して悪影響を与えるかは、やってみなければ分からないことだし、やってみたところで、オールドタイプとニュータイプとの相克はあるのだろう。
僕は幼稚園の頃からBASICを触っていた点ではニュータイプだが、野山を駆け回ってテントウ虫だのを採ったり、川で鮒や泥鰌、蝲蛄を釣っていたところではオールドタイプでもある。うちの子たちはWiiプレステ3も触っているが、できれば自然にも触れさせようとしている。外を歩いていると、タンポポとかしょうもない諸々に対して子供って興味を持つものだ。もっと自由に昆虫採集とかさせたいところだが、いま住んでいる付近では難しい。
上の子は既にネットを使い始めているし、目を離しているとケータイで勝手にネットをやっている。もう数年して携帯を買い与えたときに、何をやっているか、気になるところではある。その気持ちはネットに対してもっと警戒している多くの親たちにとって自然な感情である気がするし、それを現代のラッダイド運動にしないために何をすべきなのか、考える必要があるのだろう。