雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ

現代日本が非承認型社会なのか、だいたい社会が承認を担保してくれることを期待してる奴ってキモくね、とか思うけど。承認って妙にネットワーク効果があるよね。誰かから認められ、そういう評判があると他の誰かからも認められやすいし、誰かから認められたという自信に裏打ちされた行動が、他からの承認を勝ち取ることもある。だから簡単にポジティブ・フィードバックでベキ法則風に分配されてしまうし「どーせ承認されないし」的ジタバタをやったところでハリネズミ症候群となってしまったり、そもそもエントリーポイントどこ?的な話はある。
この問題、決して昔が良かったとは思えないんですよ。昔からの承認って職能的なところは社会的地位に紐づいていて本人にはどうしようもなかったりしたろうし、人格的なところは村社会で非常に狭いところに押し込められていただろうから。そういう諸々が郊外化で崩壊して、団塊世代ヒューマニズム的な教育観を持ち込んで「君は何でも出来る」とか空手形を先生に切らせるようになって、肥大化した自我を持て余す若者が増えたんじゃね?。
まあ「オラどうせ百姓の子だし」って収まられるよりも「オラさ東京へ出て出世すっぺ」とでも思ってもらった方が経済成長のためにはいいんだろうが、行ってみると矛盾だらけだし、戦後に伸びた新興宗教って、地方から東京に出てきた層に帰属とか承認を提供することを通じて成長したことは『日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)』が書いている。本来は承認の供給不足が問題だったら、それは宗教がシャンとしなきゃいけないんじゃね?という気がする。
誰もが仕事で自己実現って風にはならないですよ。できれば理想だし、そんな社風を持った会社は強いだろうけれども。自己承認に増えている人々に「ネット使って片っ端からアプローチしてみろよ」というのは何のアドバイスにもなってない。彼らは自分を認めてさえくれれば何でもいいんだよ。恋愛も結構そうで、わざわざ自分からはアプローチしない子が、強引に追っかけられると自分を認めてくれるのは彼だけだし的な気持ちになることもあるようだし。けれどもそのミスマッチって、結局のところ双方で承認されることを待ってしまっているし、自分が承認されることを信じられないから、相手を試そうとして些細なことで離反してしまうハリネズミ症候群とか。加藤だって掲示板で絡んでくれた女の子いたのに、試そうとしてウザがられたって流れでしょう。君子の交わり淡きこと水の如しっていうけれど、そうできるのはお互い承認不安を抱えていないからだよ。
そういう意味でも、幼少の時分に親から可愛がられたかどうかとか、子どもの頃いじめられたか否かとか、そういうことってすごく人生に影響しまくるんだろうけれども、承認を確認して安心できる状況って非常にコンテクスチャルだから、お金を撒いたりカウンセラーをつければいいという話じゃない。たぶん、自己承認欲求とどう向き合うかについてのLife Hackって伝統的に地域社会や宗教が担ってきた役割であり、高度成長期以降の日本はどういう訳かそれを会社が肩代わりしてきたんだろうけど、会社がその役割から降りて、承認欲求に対するケアから零れ落ちる層が増えたことが問題なんだろうね。
歴史的には承認不足が問題なのか、承認に対する過剰な期待が問題なのかって議論はあるんだけど、バランスすればどっちでもいい訳で、昔だってさほど承認されていた訳じゃないから我慢しろって訳にもいかないのだろう。誰もが承認を求めているんだったら、手っ取り早く承認された感を獲得できる仕掛けをつくった奴は成功するかも。それが宗教なのか、SNSなのか、自治体なのか、よく分からないけれど。これは人間が社会を形成するようになって以来のテーマではあるし、これまで様々な社会的工夫がなされてきた訳で、問題が顕在化しているとすれば過渡期故のことだろう。それは逆に効率的に承認欲求を満たす仕掛けを提供できる人々にとって、大きなチャンスでもあるのだろう。

多くの人間が「貧困」に喘いでいるというが、この貧困にも金銭的な「貧困」と、上記であげた「どこにも承認が見出せない」がゆえに「自らを社会の成員として位置づけられない」という<貧困>問題がある。個人の存在理由が「大きな物語」に結びつくことで一種の自己欺瞞を導くのに成功した時代を終えた今、我々が必要としているのは(前者も大切ではあるがむしろ)後者の解決なのではないだろうか。

だから問題は、変な言い方になるが若者の考えが古いままであることにある。うざい承認だったら、切ってしまえばいいのである。承認ほしさに偽りの自分を演じる必要など、ない。そして承認してくれる人が欲しかったら、まずはリンクを増やしていくこと。あなたを承認してくれる「深化OK」な「ノード」が見つかるだろう。今ある「ノード」に承認をごねるより、よっぽど楽。
「誰も承認してくれない?」あなたは何人に声をかけましたか?100人?200人?諦めが早すぎます。かつて10人に声をかけるコストで、1000人、いや一万人に声をかけられる時代なのですから。