雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

いい学校、いい会社に入る意味と、自分の頭で考えることの重要性

学歴社会への批判って自分は中学の新聞部から十八番だったから、正直そろそろ卒業しろよとも思う。数多あるアクセスには受験勉強中の生徒や、就職活動中の学生さんもいるかも知れないし、僕やダンコーガイの煽り記事を読んで勘違いされては困る。だから眠れない夜長に、教え子や息子から聞かれたらどう答えるか、噛み砕いて考えた。
ぶっちゃけ自分で食っていく必要のある奴は、ともかく生業や居場所をみつけておけ。昔ほどの学校歴社会はなくなったが、いい学校で得られる文化資本や人脈は頼りになる。修士や博士の過程は就職の見通しを踏まえて検討すべきで、モラトリアムで選ぶには危険だ。新卒の就職活動は年によって条件が不安定だから他の経路も当たってみろ。どこに入るかよりも、どこかに入ることが大切。新卒採用を受けるなら倍率数千倍の人気企業ばかりでなく、どこかに入れるようポートフォリオを組め。条件の悪いところに入っても、そこで何を得られないかを自覚して補う努力をすればチャンスは巡ってくる。と、こうやって書いてみると意外と保守的で驚いた。
僕は大した学歴がなくたって何とかやれているし、それはたまたまネット勃興の時勢に乗れたからだからで、誰もが運良く何かの波に乗れる訳じゃない。勿論いい学校に入って、いい会社に入るだけが人生じゃない。それで幸せな未来が約束される訳じゃないけれど、いい学校に行くに超したことはない。
だいたい周りに優秀な奴や突飛な奴がいる可能性とか、オトナになってから助け合える可能性が違う。僕は進学校ドロップアウトして、偏差値で真ん中くらいの大学を出た。社会に出てから高校の先輩や後輩に助けられたことは諸々あるけれど、仕事で大学の同窓と会うことも助けられることも殆どない。僕は学歴社会や権威主義が嫌いだし、自分の人生を通じて反駁していくつもりだけど、残念ながらこれが現実だ。
優秀な連中に立派な学歴を持たないひとは結構いるけれども、立派な学歴を持たない人々で優秀な連中はほんの一握りだ。だから、いい学校に入れなかったからといって必ずしも将来を悲観する必要はないけれど、受験競争からは安直に降りず、とりあえず勉強もしておけ。教科書が味気なければ、自分で本を読んで調べたり、自分の世界をつくってみろ。
受験勉強とか大学での研究とか、実社会に出て役立つようなことがあれば拾い物だけれど、大人になったって意味があるかないか分からない仕事を成し遂げなきゃならないことが諸々ある。気に入らない、尊敬できない先生から偉そうにされたり理不尽な目に遭うこともあるだろうけれど、会社の上司や取引先にだって合わない相手はいるものだ。決めたことを成し遂げる忍耐力とか、合わない奴とも何とかやっていく協調性とか、苦手なことを引き受けながら少しずつ自分のやりたいことをできる環境をつくっていく能力って、だいたいの連中は学校時代に学ぶ。勉強を通じて学ぶ奴もいれば、部活を通じて学ぶこともある。多感な時期に周囲にどんな奴がいて、何に打ち込むかって、人生に大きく効いてくる。
勘違いしないで欲しいのは、いい学校、いい会社に入ることが、昔と違って決して将来の社会的地位を保障しなくなったことだ。君は学校を通じて何かに興味を持つ機会や、分からないことへのアプローチの仕方、仲間の作り方や人脈などを得ることができる。それを使って如何に社会と関わり、周囲から必要とされる人間になれるかは、自分で考えなくちゃ駄目だ。
経済が右肩上がりで伸びていた時代だったら、右も左も分からない学生たちを大企業が新卒で受け入れて、何年もかけてソーシャライズしてくれた。けれど今の会社の多くは昔ほど人を育てなくなったし、あなたの上司となるひとも君に手取り足取り何か教えるほど余裕がないかも知れない。それ以前に、業界によっては先輩の持っている技術、これまでのやり方が通用しなくなっていて、君自身が諸先輩の機嫌を取りつつ、新しい方法を模索しなければならないこともあるだろう。
おっとその前に、就職をすべきかという話をすべきだったな。僕は大学が決まった頃から深く考えず業界に飛び込んでしまったので、普通のひとがやっている就職活動を知らないし、残念ながらあまり参考になる話はできそうもない。選ぶ余地がなければ悩まないだろうし、悩んでいるということは、いくつか選択肢があるか、見通しの立たない中で積極的に活動すべきかということだろう。
まず、これまでの受験と就職活動とは全く違う。受験の定員は学生運動で入試が中止にでもならない限り極端に変動しないけれども、新卒採用は景気の遅行指標だから毎年大幅に変動する。このところ好景気と団塊世代の引退が重なって売り手優位となっているけれど、そろそろ一巡するかも知れない。日本は法律や判例で社員をクビにするのが難しいのと、人材育成には結構な費用がかかるから、従業員数の調整に新卒採用の絞り込みによる自然減を使うことが多い。だから少しの人数調整でも、採用数でいうと大幅に変動してしまう。
これは君が仮に同年代の中で際立って優秀だとしても、単に就職活動をした年が不況であれば望みの企業には入れない可能性が高まるということだ。どんなに努力したって遡って誕生日を何年かずらすことは難しいし、自分の人生を新卒の就職活動だけに賭けてしまうことは非常に危険だ。これはとても理不尽なことだし、とても納得がいかないだろうけれども、だからといって漫然とフリーターやニートになる途を選んだら、もっと選択肢が狭まってしまう。
大学院に進学することは昔より容易だしフリーターよりずっと世間体がいいけれども、特に文系の場合は親の財産で食うに困らないとか、どんなに苦しい思いをしてでも人生を賭けたい学問があったり、すでに学者としての未来が見通せているのであれば構わないが、就職できず単なるモラトリアムで逃げ込む先としては非常に危険だ。理系の場合は修士まで出るのが当たり前という世界もあるし、指導教官が就職の世話までしてくれるところも残っているようだから、ケースバイケースだろう。
いくつかの仕事は修士以上の学位を必要とするけれど、それよりずっと多くの学位取得者が量産されているのが実情で、ギャンブルに例えれば掛け金を釣り上げる感じだ。子どもも教育予算も減るとなれば、大学そのものが典型的な構造不況業種だしね。歴史的にも学問って金持ちの道楽か求道者が信念でやるもので、無産階級の生業じゃないんだよ。
ともかく自分で食わなきゃならないなら、どこに居場所を見つけるかは自分の頭で考えなきゃならない。学校は君たちのためにあるが、会社や社会はそうじゃないんだ。受身でみんなと同じ時期に何となく就職活動をすると、とんだ割を食わされることもある。アルバイトやインターンで潜り込むとか、起業するとか、新卒採用以外の経路も転がっているものだ。けっきょく新卒でどこかに入るにしても、学生時代に何かしら企業と一緒に仕事することがあると、仕事とか会社とか業界の雰囲気が掴めて、地に足の着いたキャリアプランを立てやすくなる。
どこで最初に社会人としての経験を積むかは意外と重要だ。問題設定や仕事の進め方で、驚くほど最初に入った会社で染み付く文化の影響は大きいから。多くの学生さんは華やかな業界の大企業を希望する。確かに大企業は教育も行き届いているし、会社の仕組みがしっかりしているし、大きな仕事に携わる機会があり、尊敬できる同僚や先輩がみつかる可能性は高く、オフィスは快適で派遣の女の子も奇麗かも知れない。それで最初からお望みの会社に入れるならアドバイスは不要だが、何千倍という倍率の会社ばかり何十社と受けて落ち込んでいる奴もいるだろうから、もうちょっと実践的なアドバイスを考えてみよう。
まず数千倍の会社を数十社も受けたって受かる確率は数百分の一なのだから落ち込むな。まずはどこかに居場所を見つけることが先決だから万馬券ばかりに張らず、確率を足したら1を超えそうなポートフォリオを組もう。問題は如何に入りやすく悪くない会社を見つけるかだ。誰もにとって入りやすい会社よりは、自分の持っている能力や機縁で入りやすい会社の方が条件がいい。どんな会社にも社風があるから、実際に会って一緒に仕事したい雰囲気があるかも大事だ。大企業でも消費材をつくっておらずブランドが浸透していないと相対的に倍率は低い。だいたい就職活動の時期になると何を売りたいんだか分からないテレビCMを打つ会社が増えるが、それだけ採用活動に苦労も投資もしているのだろう。
中小企業、ベンチャー企業の多くも優秀な人材の獲得に苦労している。とはいえベンチャーの多くは人材育成への投資が難しく即戦力採用なので、大学から行くとなると研究領域やそれを応用できる世界に限られる。僕はベンチャーから自分のキャリアをスタートしているが、ベンチャーに行くことも善し悪しはある。いいところは、どんな仕事でも早くから任される点。大企業は研修などの教育制度が充実している一方、自分で仕事を切り盛りさせてもらうまでに時間がかかりがちだ。自発的に学ぶ能力と、ぶつけ本番で成果を出せる度胸があるならば、ベンチャーに飛び込むのも面白い選択肢だ。
問題は一般的には勤務時間や給与といった待遇にばらつきがあり、経営状態に左右されやすいことだ。会社は船と似ていて、大きいほど海が荒れても揺れが小さく、視点が高く遠くまで見通すことができ、その代わり船員が多く役割分担が細かく、舵を切っても方向転換に時間がかかる。また、会社のことにばかり拘泥していると世界が狭くなりがちなので、意図して社外に人脈を広げ、自分で幅広い視野を獲得していく努力が必要となる。会社とともに成長してもいいし、ステップアップの機会もあるだろう。
結局のところ自分で食っていかなきゃならないなら、自分で生業なり居場所をみつける必要があって、それがどのような場所であれ、機会や与えられるものに偏りがあるのだから、それを自覚して偏りを自分の努力で補えば、様々な可能性が開けてくるんじゃないだろうか。狭量な世界観でいい学校、いい会社に入れなかったからと将来を悲観することも、逆にいい会社に入ったからといって与えられた世界を漫然と過ごすことも、同じように勿体なく危うい。自覚して足りない機会を補う努力をすればリベンジの機会はあるし、昔のようにいい学校、いい会社が必ずしも将来を約束しなくなっている。
キャリアパスといっても時代や業界によって大きく異なるし、なかなかイメージし難いのだが、例えば憧れているひとの経歴をみると意外と紆余曲折があるかも知れない。最近はLinkedInとかFacebookといったSNSで、いろいろなひとの履歴をチェックできる。漠然と大企業や有名ブランドから連想するよりは、尊敬できる成功者の多様な履歴書を眺めた方が、自分の身の振り方を幅広く検討できるのではないだろうか。
実際のところ、転職業界に乗せられて周到なキャリアアップを計画するよりは、周囲の問題に気付き、それを解いて、何かを成し遂げるといった地道な営為と、それを通じた自己の成長と周囲からの信頼獲得の方が、よほど重要であったりする。自分が何に手応えを感じるかなんて、やってみなきゃ分からないことの方が多いのだから、取りあえず飛び込んでジタバタしてみるしかないんだよ、きっと。