雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

「ただ働き」は三文の得

僕がこの業界で何とかやってこれたのも予備校時代、秋葉原の当時ぷらっとホームの下にあった日立ソフトのショールームでのただ働きがきっかけだ。「謎の予備校生」として連日入り浸り、デモ環境つくったり、調子の悪いPCを直す代わりに諸々教えてもらった。そこで広がった人脈から、大学に入って仕事を貰うようになった。その縁で学会の手伝いをしていたら、霞ヶ関や永田町を出入りするようになった。

ただ働きを、安売りするんじゃねえ。

なんの実力も実績もない「ただ働き」なんて、単なる足手まとい、マイナスなんだよ。「ただ働き」ゆえに、どんな失敗も免責されてしまう。その分確実にマイナスになる。

ただより高いものはねえんだよ。

学生のとき前の会社から足抜けし損ね、ネットベンチャーに恵比寿のマンションの1室を与えられ居候として無給で週1 + アフター5の手伝いをしていたら、1年足らずで買収されるまで、認証連携の特許を申請したり、アライアンスの企画や交渉もこなした。株では儲け損ねたが、当時の戦友たちとは今も繋がっている。くやしい思いもしたが、当時は理不尽に感じた業界構造などは概ね政策の俎上に載った。
一人暮らし1年足らずで子どもができて学生結婚した。その頃やっていたLinux IPv6関連の活動とか、無線LANモビリティの研究とか、ものにはならなかったが雑誌の取材やVCからのコンタクトがあり、9.11の翌日に講演に呼ばれたご縁で、GLOCOMには今もお世話になっている。あの時ボトルネックと強く意識した電波の解放は、アンダーレイの解禁、5GHz帯の追加解放、2.5GHz帯のWBBへの割当、そして最近のホワイトスペースといったかたちで関わり続けている。
今の会社に入ってからも仕事をサボって経済産業研究所に出入りしていたら、役員手前として転職が決まっていた課長補佐と出会い、彼が入社してからプラニングを手伝っていたら今の仕事に抜擢された。最近もネット規制について個人的にウォッチしていたら、この1年で人脈も広がって国会に参考人招致された。
そう考えてみると、ぼくの「ただ働き」は人生の中で決定的に重要な転機を呼んでいる。何故かと考えてみると、世の中や会社で何が重要とされるかは、僕が関心を持つ時期と比べて非常に遅いから、自分が大事だと思って首を突っ込むときは、どうしても「ただ働き」とならざるを得ないのである。その代わり頼まれた時には仕事の8割が終わっていたり、自分から居場所をつくることになる。
仕事と比べて「ただ働き」が気楽なのは、場合によってはタイムラインを切らなくてもいいことだ。逆に難しいのは、志で繋がった仲間と緩やかに連携する場合、仕事での受発注関係に比べて相手からコミットメントを得難いことだ。裏を返せば気長に腰を据えて取り組み、志で繋がった仲間と動ける「ただ働き」であれば、プライスレスな結果を出せる。どうせ「ただ働き」するなら悪い大人に騙されないよう気をつけて、自分を安売りするのではなく、ただより高いものはない位の志を持つべきだ。いい結果が出るとは限らないが、志に応じた仲間と経験は手元に残る。