2008年を振り返って
今年は国会の参考人招致などネット規制への対応、改めて実名への転換、AMNへの参加、日経IT+PLUSでの新連載など、ブロガーとして大きな転機を迎えた1年だった。これからもアクセス数より読者や議論の質、現実との関わりを模索していきたい。得意分野に立て籠もらず諸々に首を突っ込む分、引き続き事実誤認や不見識が度々露呈することも予想されるが、誤りに気付く機会と割り切って反論には誠実に対応し、過ちは率直に認める余裕を持ち続けたい。
さて今年は前半がIT業界の構造問題やネット規制、後半は新卒内定取り消しや人員整理を受けて労働問題を中心に取り上げた。年初は毎日更新・毎月10万PVを目標に置いていたがGW後には息切れしてしまい、5月の15万PVをピークにアクセスは減少し、かろうじて年間で100万PVの大台には達した。アクセス数でみると前半のエントリーが、はてブのコメント数では後半のエントリーが数を稼いでいる。とはいえランキングをみて分かるように、エッチアニメや硫化水素といったキーワードでグーグルから流れてきた分が多く、実質的なトラヒックだったかは疑問が残る。
一連のネット規制では、硫化水素自殺など一般にネットが原因といわれていることの多くが、実際にはテレビ報道に惹起されていることを確認できた。4月後半は毎日のようにニュースの時間になるとアクセスが跳ね上がり、多くの人々がテレビ報道でネットに硫化水素の作り方が載っていることを知って、検索エンジンで探していることを知った。
5月のGW中は衆議院から夜明け前とか気の毒な時間に結構なアクセスが来ていたのだが、連休返上で法案をつくっていたようだ。自民党の法案も民主党の法案も議院法制局の同じ担当者が書いているらしいことを知り、この国は選挙制度改革で官邸主導となった割に、議員立法を支えるスタッフ層が極めて脆弱であることが分かった。政党の政策立案機能を高める必要があり、それはパートタイムで学者を集めてお誂えのシンクタンクでお茶を濁すのではなく、政党内に常設の官僚機構として政策立案機関を置き、専門スタッフは法曹界のキャリアパスとして位置づける必要があるのではないか。
現実には議員立法の多くが官僚によって立案されており、閣法では政治的に通し難い法律を速攻で採決するためのファストトラックとなっていることを知った。国会審議を目の当たりにして、思った以上に真剣勝負で、官僚の書いた回答書の枠を超えて物事が決まる場合もあることに驚いたが。いずれにしても今の政治は過渡期にあり、これから3年から5年かけて、かなり様相は変わるのではないか。
年後半は労働関連のエントリを中心に書いたが、僕が適切な書き手であったか今も悩む。普通の就職活動や転職活動などやったことがないし、12年の職業人生で未だに残業代を貰ったこともない。しかし仕事と報酬との関係について悩んだことは少なからずあり、ブクマも伸びやすいので調子に乗ってしまった。人員整理はしばらく進むだろうし、経営者の倫理を問う姿勢は読者受けするけれども、あまり現実的ではない。
中期的には正規労働と非正規労働との壁を取っ払いつつ、雇用の継続や能力開発の機会について、労使で合理的な期待を再形成するための新たな枠組みを考える必要があるだろう。この辺、制度設計もさることながら、世間知らずで硬直的な司法が障壁となることを憂慮している。問題は労働基準法の法文ではなく解雇権乱用法理にある訳で。とかく法学と経済学との隙間に落ちてしまいがちな話題で、けれども経済学的な制度設計は法律なり政省令、行政指導としてコーディングする必要がある訳で、この辺の機微には引き続き注目する必要があるだろう。
2000年から2009年の所謂2000sと括ったとき、森政権の迷走を経て5年間の小泉政権があり、再び日本は短命な首相に振り回される貧困なる政治の国に戻ってしまった。明日にもやってくる2009年は、金融危機の実体経済への波及がカタルシスとして日本を襲いつつ、政治はしばらく機能不全が続くだろう。泣いても笑っても秋までに衆院選はあるだろうが、どう転んでも強力なリーダーシップを発揮できる環境が整うとは考え難い。政治も経済も2010年後半から2012年へかけて飛躍できるか否か雌伏の時期となるのではないか。
けれども30代の前半をこういう不景気で不安定な時期に過ごすことは、必ずしも悪いことではない気がしている。景気のいい時期なら知遇を得がたい人々と話す機会を持ち、仕事に追い立てられず考えたり学ぶ時間を取りやすくなる。放っといても仕事や役割の降ってこない時期に、どれだけ種を蒔き、智恵を耕せるかは数年後かなり効いてくるだろう。
わたしは小泉改革に対して非常にアンヴィヴァレントな思いを持っている。郵政民営化にしても、通信と放送の融合にしても、道路改革にしても、年金・医療改革にしても、華々しいファンファーレの割に詰めが甘く、実を捨て名を取る話や、混乱ばかり招く話が多かったからだ。しかし短期間で多くの利害関係者からの反対を押し切って何かを成し遂げるには、ああいったやり方しかなかったのだろう。
これは本質的には必ずしも小泉氏の問題ではなく、長く続いた55年体制にあって政策立案機能が政府に集中してしまったことの弊害で、煮詰まってはいるが官僚や業界の既得権益に切り込めない策と、荒削りではあるがトラスチックな改革とのどちらかを選ぶしかなく、後者を選び得る政治情勢をつくった小泉氏の手腕は、時代の要請として評価されるべきだろう。
端から荒削りな改革だったから、郵政しかり、通信と放送の融合しかり、年金・医療改革しかり、タクシーしかり、施行に当たっては矛盾が噴出することは分かりきっていた。けれどもそこで旧態依然とした体制に戻したところで、失われた10年を失われた20年にしてしまうだけだ。そもそも成長を前提とした社会システムが立ち行かなくなっていることに対して、日本の政治・行政システムが適応できなかったことに対するアンチテーゼとして国民は小泉改革を支持したのであって、小泉改革の落ち穂拾いは昭和への回顧ではなく、練られた柔軟かつ持続可能な体制の建設でなければならない。
わたしは正直なところ経費節減で乗ることの減ったタクシーなんてどうでもいいのだが、敢えて論じるのは2008年を通底する反動のひとつの例として非常に苦々しい思いでみたからだ。タクシーの需給調整への回帰を許すようでは、減反の見直しも、雇用規制の見直しも、公務員人事制度の見直しも覚束ないのではないか。わたしは市場を万能とは考えないし、市場への無批判な信奉を悪用して巨利を得たり制度や産業の生態系を破壊した人々のことを苦々しく思う。
わたしは市場の失敗に対して政府による調整が様々な局面で必要であることは理解するが、直接的な需給調整は不必要に強力な政治権力を生み、権力が腐敗して社会の変化を押し留める力学を懸念する。戦後の傾斜生産や高度成長期であれば大所高所からの調整こそ交渉にかかるコストや期間をすっ飛ばして東洋の奇跡と尊敬される成長の原動力となったが、経済が成熟してからも日本は成功体験を克服できず、頭の古い人々ばかり上に居座って国の方向を誤った。理由は様々だが、結局のところ何かを生み共に伸びることと、出来上がった世界で勝ち上がることは別のゲームなのだろう。
一連の経済危機で市場主義に対する神話や信頼が崩壊したことを受けて、これから玉石混淆の議論が繰り広げられよう。教科書に書かれていない経済状況にあるのだから、百家争鳴のなか暗中模索せざるを得ないのではないか。経済学部で教科書的な経済学は押さえたつもりのわたしも、リフレ派とケインズ派と財政再建派が云々といわれて詰まった議論をできるほど勉強できていない。結局どれも仮説には前提があって、結局やってみなければ分からないってオチである気もする。
マクロ経済は話が大き過ぎて議論への参加を躊躇してしまうのだが、ネット規制なり、通信と放送の融合なり、電波の解放といった各論であれば利害関係者と論点と技術的可能性を整理し、市場の失敗を織り込みつつ大きすぎる力を生まずに、政府が政策的に介入する政策手法を考え得るのではないか。いずれにしても実際の政治は経済理論とは別に、話を通したり顔を立てたりバランスを取ったりで動いている。けれども、どういった案がどういった帰結をもたらす蓋然性があるかを、学問や智恵は示すことができる。
堅牢な理屈が政治的な立場を超えて、政治過程に影響を及ぼし得ることが民主主義の良いところである。政策過程に関与しようとする誰もが自分の政治的影響力を保持し続けられるように行動することが、外部からの知見や提案に対してオープンな姿勢となるのである。そういった意味で政治献金よりは情報や専門知識、洞察の方がずっと強い影響力を持ちうる。これまでドタバタの付け焼き刃で勉強してきたから、この不況を期に腰を据えて勉強できる機会をつくれないかという想いもある。
要人に対するテロとか、世相がますます昭和初期に似てきた気がする。人々が不安を抱えている時代は、イデオロギーとか新興宗教とか、物事をすぱっと切る世界観を提示できる人々が称揚されるのだろう。難しい時代にどれだけ良心的に逡巡できるかが重要だと感じる一方で、安全地帯に踏み止まったところで自己満足でしかないのではないかという気もする。自分の社会的影響力を増すことを自己目的化せず、自分なりに少しでも社会と歯車を噛み合わせて、少しでもマシな方向へと持って行けるだろうか。
2008年は在京キー局の多くが赤字に陥り、毎日WaiWai事件など活字媒体の信用も失われる節目の年となった。仮に政権交代が実現すれば、記者クラブ制度の廃止も期待できるかも知れない。泣いても笑っても向こう数年で、メディア環境は劇的に変わるのではないか。しかしこういった議論をするとき、ブロガーは自分の周囲にいる知識人たちを基準として議論してしまう。
仮に統治の道具としての新聞やテレビがその地位を失ったとき、大衆文化はどうなるのだろうか。ひょっとすると若年層では無償MAD文化とネット右翼ばかり跋扈し、年配の方々はVoDで昔の番組にどっぷり浸かり、情報と広告との境界が融解し、世論の収拾がつかなくなって排外主義が跋扈することも考えられる。馬鹿にしていたけれども、ネット芸人よりはみのもんたの方が常識があったよねー、みたいな残念な回顧をしている可能性さえある。或いは関心が泡宇宙のように分散し、政治的な対立軸を設定できなくなって民主政治が機能しなくなるとか。ネットのアナーキー性がファシズムを招く可能性については、大正デモクラシーと昭和軍国主義との連続性からも考察されるべきではないか。
だらだら書き連ねてしまったが、2009年は戦後政治の破壊と停滞の2000年代締めくくりの年として、そして2010年代へ向けたパラダイムを模索する種蒔きと雌伏の年として、できれば有意義に過ごしたい。