雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

…で,今なにやってんの?

あれれ力武さんとは日経デジタルコアか何かの会合で何度かお会いしているはず。仕事上の経歴はプロフィールを参照のこと。おやじさんから「…で,今なにやってんの?」と聞かれたら、公開して差し支えない範囲だと、こんな風に答えるのかなあ。

  • 緊急経済・雇用対策のIT周辺・次期e-Japan戦略へ向けた提言 (ICTビジョン懇SWG)
  • ネットの安全・安心へ向けた民間自主的取り組みの具現化 (違法有害・総セク・安心協)
  • ホワイトスペースを使った通信の解禁へ向けた働きかけ (総合的な法体系ほか)
  • 日本経団連の取り組んでいる高度ICT人材育成への協力 (九大・筑波での講義ほか)
  • マルチナショナル・クラウドのサーバー日本誘致へ向けた政策課題の洗い出し (これから)

技術か政策にかすっていれば炎上する前に首を突っ込みたい性質なので、他も諸々に手を染めている。これは個人のブログなので直接的には仕事のことを書かないように心掛けているのだけれども、折角の機会だから今の会社で何をやってきたか棚卸ししてみる。

…楠さんに「仕事しろってことでは」と書いたのは,楠さんの仕事って一体何なんだろう,というのが私にはよくわからないから.楠さんがはてなで書いている内容とか,いろいろな会合に乗り込んで行くことについてはただただ尊敬するしかないのだけど,楠さん自身の仕事,というのが良く見えない.
(略)
本多のオヤジは叩き上げの人だったから,ポジショントークなるものには何の興味も示さなかった.今何をしているのか,過去何をやってきたのか,これからどんなことをするために覚悟を決めて関わっているのか,そういうことにしか興味のない人だった.単刀直入に話を聞いてくる人だったしね.「…で,今なにやってんの?」と聞かれた時に,納得の行く答ができないと,多分二度と相手にされなかったと思う.そういう怖い人だった.
まあ,このブログ記事を見る限り,楠さんも自分ではわかっているだろうと思う.まだ会ったことのない人にこういうことを言うのもなんだけどね :-)

ぼくが今の会社に入社したのは2002年10月、実はその前1月から6月までコンサルで入っていた。当時ISP業界でWindows Serverがあまり使われていなくて、その理由を一緒に考える仕事だった。ちょうど2001年にCodered、Nimdaといったウイルスが大流行しており、特にネットワーク技術者の間じゃWindowsはセキュリティに弱いって話になっていたんだけど、実際どうなのか、旧来のイメージを払拭するために何ができるかを考えて報告書にまとめた。
下期もその仕事を続けるつもりでいたのだけれども、手伝ってくれていた同僚が会社を立ち上げて独立し、自分もどうするか悩んでいたところを誘われて今の会社に転職した。僕をLinux野郎と思っていた周囲の人々は驚愕したようで、僕は言い訳がましく「石の上にもといいますし」とか頭を下げて回った。ちょうどWindows Server 2003の発売準備で忙しい時期で、Product ManagerとしてWindows Services for UNIXというNT kernelで動くPOSIX subsystemやNFS Server/Client、UNIXとの認証連携機能を持った製品の発売や、Windows Server 2003やVirtual ServerとかのTechnical Evangelismを担当した。
これまで自社イベントでしか露出していなかったことを問題と感じていたので、関西オープンソース&フリーウェア2002を皮切りにOSSコミュニティ系のイベントにも出るようにした。担当Product Managerが製品発売日に職場を留守にして、ましてやオープンソース系のイベントでプレゼンするなんて前代未聞じゃないか。
前職で社長の鞄持ちとして役所に出入りしていた関係で、最初はボランタリーで法務部の渉外業務に口を出していたら、RIETIで知り合った経済官僚が春にやってきて、夏から渉外部門を強化すると誘われて法務部に移った。2003年の夏は暑かった。Blasterというウィルスが世界中で大流行して、日本でも100万台以上のPCに感染したからだ。その時期に僕は経済産業省で情報セキュリティ政策の骨格をつくるための研究会に参画していたので、毎回のように「OSの一極集中リスク」等と攻め立てられ釈明に追われた。警察庁総務省からも似たような研究会に呼ばれて、細かい技術的説明のできない役員の鞄持ちとしてお詫び行脚を続けた。この問題でRIETIから寄稿依頼を受けてCreative Commonsライセンスで記事を寄稿し、CNETに転載された記事から当時の様子を垣間見ることができる。
他では例えばITリテラシー教育や起業支援で自治体と組もうとしていたのだが、どこも前例がないといって取り合ってくれない。GLOCOMの地域情報化研究会でご一緒したことのある神成さんが岐阜県の技術顧問をしていたので相談したら、ぜひ起業支援をやりたいといって当時の梶原知事に掛け合ってくれて急転直下で提携が実現、もう僕は手を引いているが今では十数の自治体と協業している。
2004年に日本法人の初代社長が米国から戻ったことを期に技術渉外だけ新部門として切りだすことになり、今いる部門に移ってかれこれ5年近くになる。仕事はおおまかにいって製品計画と日本の制度や慣行とを照らして早めに火種を見つけて報告しつつ問題を解くこと、まだ製品になっていない最新技術を世に出すべく知恵を出すこと、起こってしまった問題が振られたら火消しに走ること、日本で流行っている最新のガジェットとかを本社に紹介すること、パブリックコメントや役所の研究会でプレゼンすること等を通じて会社の立場や考えを理解してもらうこと。2004年度は早稲田で、2008年度からは九大で非常勤講師として教鞭を執っている。
世の中なにがどう繋がっているかは分からないので、自分がやったといえる仕事ってあまりないのだけれども、内閣官房 情報セキュリティセンターの設立や、5GHz帯無線LANの帯域拡大、2.5GHz帯の無線ブロードバンドへの割当、ロボティクス分野向け開発環境への参入、フレッツ網でのIPv6マルチプレフィクス問題、携帯電話SIMロック規制の先延ばし、昨年はOffice Open XMLの国際標準化や、青少年インターネット利用環境整備法の審議、与野党での児童ポルノ禁止法の見直し、NHK国際放送の検討とかに立ち会う機会に恵まれた。概ね自分の思想信条と矛盾しないかたちで働けて、自分のペースで知識や人脈を広げることができ、それなりに成果を出せたことは会社に感謝している。
いま仕事で勉強していることは、できるだけ日経IT+PLUSの連載なんかで吐き出すよう心掛けている。そのうち論文とか書籍にまとめたいところだけれども、ちゃんと手をつけられていない。おやじさんは亡くなってしまったが、いまも「…で,今なにやってんの?」と聞かれた時に納得の行く答えができるよう自問自答を繰り返しているつもりだ。