雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

市場価値と仕事能力

ぼくの場合は部下がいないので上のように書いたけれども、自分で採用する立場になると、ひとが育ってないというのは大問題だろうな。予算とか管理とかは苦手なので、部下なんかいないに越したことはないのだけれども、経験した方がよいことなのかも知れないし、まぁ直属の部下がいなくたって周りの人々に動いてもらわなきゃならないことに変わりはないのだから、人間関係の苦労とかもない訳ではない。今は周りは賢いしリーズナブルな問題が多いので、色々と愚痴をいいながらも、恵まれてるんだろうなと思ったり、これだけの環境を与えられている割には大したアウトプットが出てないなーとか、周りよりも自分に対する不満が大きい。だいたい享楽的な人間なので、自己嫌悪に陥ることがあっても、挽回しようと死ぬほど仕事したりはしないのだが...
ところで自分なりに市場価値なるものを意識し始めたのはいつごろだろうか。大学に入るなり個人事業主となりライターの仕事を向こうの言い値で引き受けたり、外資半導体メーカーの仕事をとったときは、レポート1本20万円という値付けをした。理由はないけど、月にそれくらい貰えたら大学1年生としては上々かと思ったのである。大学2年の時に手がけたシステム構築支援では、週2くらいの通いで月20万円、カットオーバー前後の忙しい時期は月50万円くらい貰った。2年ちかくかけて月800万円くらいかかっていた運用費を月200〜300万円くらいまで減らしたから、後から考えると0がひとつ多くても良かった気もするが、そこでシステム構築の全体的な経験を積んでいなければその後はなかったろうし、どこの馬の骨とも分からない大学生が月ン百万も吹っかけて契約を取れたとも思えないので、まぁあれはあれでよかったんだろう。
けれども、僕はそこで個人事業主をやめてサラリーマンになることを選んだ。自分の知識が価値を産むためには、相手より自分が知っていなければならないし、背伸びしなきゃいけない。或いは自分よりも知識はないけどカネを持っている顧客を選ばなきゃならない。けれども、そんなことばかりやっていて、自分はいつ新しいことを勉強するのだろうと考えたのである。
20代で背伸びしてもタカが知れているし、自分より詳しいひとがいる会社で、自分の苦手なことも手がけさせてもらったほうが、いずれ得だろうと踏んだのだ。その後、日本社会は大きく変わったから、本当にそれでよかったのか、ベンチャーでもつくって無理して背伸びしたら今頃ヒルズ族かはともかく、それなりに何とかなっていたかもというのは後の祭りで、ともかくそのときはそう考えたのだし、僕は掛け金を上げなかった訳だ。
実際サラリーマンになってみて、SEのようなことをやってたけど途中で嫌になってやめた。やめた理由は前のエントリで書いたし、他にも現場に張り付けば張り付くほど、新しい技術を追っかけることはできないし、大して増えない給料で人より仕事するのは損だし、何より僕より何倍も稼いでいる奴が入社年次の関係で僕より給料が低いのを知って、あー努力しても無駄だなと諦めてしまった。
その後は社内NEETとして片手間でワイヤレスの研究とかベンチャーデューデリジェンスのお手伝いとかをしながら、相談事を聞いてコンサルに結びつけたり、所長の代わりに役所の研究会とか何かのミーティングに出たり、ぼく自身も政策系の研究会や論争に色々と関わることになって、気がつくとそれが今の仕事にも繋がるキャリアだったのだから、人生なにが幸いするか分かったもんじゃない。
その後、相談されてまたコンサルっぽいことをやり、販管費も入れて何名か食えそうな程度には稼いだ。稼いでも一向に部下もつかず、自分の給料が増えないことに業を煮やして人事制度改革を提案し、報酬制度の見直しについて新しく入ってきた人事部長と侃々諤々の議論をやった。結果として人事体系は少しはまともになったけれども、自分の納得いくものにはならなかったというか、問題は制度ではなく、運用するマネージャとの信頼関係なんだな、ということが分かった。いくら稼いでも年齢とかの問題もあって部下をつけてもらえなかったので、ずっといても出世の見込みも昇給の見込みもないなぁ、と煮詰まっていたところに先にやめた友達たちから「君はどうせ文句をいうだけで辞めないんだ」と挑発されて辞職を決意し、翌週には目鼻をつけていた今の会社に打診して、とんとん拍子で転職の話は進んだ。
とりとめのない話を書いてしまったけれども、自分がかつて悩んだり、今なんとなくいいたいのはこういうことだ。組織というのは、みんなに努力してもらうために、努力すれば報われるとか、その人の地位や報酬は、スキルや実績によって決まっているのだぞ、というフィクションが必要だけれども、実際にはもっとテキトーに決まっていて、割のいい仕事もあれば悪い仕事もあるし、いくら仕事に打ち込んだところで収入は増えたり増えなかったりするし、そういう中で何をやっていても何かしら身につくし、それらは経験と経歴というふたつの面から、その後に非常に大きな影響を与えるのだから、たぶんスキルとか資格よりも、偶有的な自分の軌跡そのものに対してもっと興味を持つとか、実はそれが自分にとって一番大きな投資なんだ、という認識を持ったほうがいいように思う。
資格とかスキルって、結局のところ自分を代替可能な何かに位置づけることであって、確かにジョブ・ポータビリティは高まるけれども、自分自身で付加価値をデザインすることは難しいのである。ボトムラインとしてスキルや資格が必要となる仕事もなかにはあるけれども、実際にはその先のところこそが勝負どころであって、そこは制度改革ではなく、仕事の積み重ねの中でしか熟さないところで、会社がひとを育てなくなったとき、学校や資格制度がそれを代替できるかというと、とても難しい気がする。