雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

やっぱり無駄な道路は多いぞ

もうちょっと調べてから書こうぜ。生活道路の予算を問題にしているのであれば赤木氏のいう通りだが、道路って国・県・市でそれぞれ整備している訳で、道路特定財源暫定税率部分をはじめとした国税の部分は、高速道路の延伸をはじめとした贅沢な道路であって「居住地の自由」とは関係ない。

「居住地の自由」と「無駄な道路をなくせ」の論理は相いれない。無駄な道路を受け入れて居住地の自由を守るのか、居住地の自由を制限しても無駄な道路をなくすのか。
 箱物行政批判は一見簡単に見えるけど、実は全然簡単じゃない。

実際問題として、地方が道路整備を求めているのも生活上の必要性よりは土建工事の事業量を維持したいからではないか。生活という点で見直すと、却ってストロー効果によって街の活気はなくなるのだろう。だから居住地の自由と財政支出の効率執行について道路については当てはまらないけれども、通信・放送のユニバーサルサービスとか、下水道整備をどこまで頑張るかとか、そういう議論は確かにある。
電話のユニバーサルサービスは、メタルのきているところに遍く光ファイバを引くのは無理でも、人の住んでいるところに携帯電話の電波が届くようにするのは現実的だし、遭難時の緊急連絡など外部効果も高い。*1放送のユニバーサルサービスは最終的に衛星同時再送信でカバーされることになるが、どこまで地デジの再送信設備や共聴設備の整備に補助金を出すかは、これまた利権絡みというか胡散臭い気がする。
ところで赤木氏が意図的に混同しているのか謎なのだが、居住地の自由と社会資本整備とは全くイコールじゃないよ。それは下水道の整備率ひとつとっても明らかだ。居住地の自由ってのは単にどこに住んでもいいよという話に過ぎず、今の日本では実感が湧かないが、中国で北京に住める人は決まっているし、北朝鮮平壌に住める人も決まっているとか、そういう次元の話だ。日本は誰もが何処にでも移動も居住もできる。
これまでの日本がひたすら社会資本整備に邁進してきたのは、それが票になったし、途中からは内需拡大とか米国からの圧力もあったし、人口が増えれば今は閑散とした設備でも需要が出てくるという想定で辻褄を合わせてカネが循環したからであって、居住地の自由とは全く関係ない。これから人口が減ろうという国で、人里離れた限界集落の維持に財政資金を注ぎ込む必要は全くない。医療制度は崩壊しつつあるし、世話してくれる若者も減っているし街に出てしまったのだから、年寄りは都市部に集住した方が身のためだ。
実際、財政の厳しい北海道なんかはそうなりつつあって、この間も小樽に行ったら昭和初期の時代香る街並みに無粋なマンションが次々と建っていて、飲み屋のマスターに「小樽って人口が減っていて仕事もないのに、こんなマンション誰が買うんですか」と聞いたところ「雪かきが不安になった老人たちが、屋根から落ちて死ぬか、雪に押しつぶされて死ぬかを選ばされる前に、郊外の戸建てを売って中心街のマンションに引っ越すんだよ」と教えてくれた。
これからは小樽に限らず、様々な診療科があって救急患者を受け入れられる病院も次々と減るだろうし、過疎化が進めば米国と同じように公共交通機関が崩壊する訳で、何かしら持病を持つ老人たちは大規模病院に近い便利な市街地で暮らすしかなくなるのではないか。誰にでも居住地の自由はあるが、場所を好きに選んで居住することは今も昔も贅沢なのである。そもそも役所が面倒をみるべき領域じゃない。

*1:数年前に電波有効利用政策研究会で大雑把に聞いたところでは、人家のある家を全てカバーするにはあと500局、人が立ち入る地域を全てカバーするにはあと5000局、国土を遍くカバーするにはあと50000局の基地局設備が必要と聞いた記憶があるが、あまりにキリがいいのは何かの与太ではないか、という印象も持った