雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

戦前の無線電信法では通信と放送が融合していた

知財戦略2008が公表され、デジタル放送のコンテンツ保護についても言及されている。Friioの登場で、現行のB-CASARIB STD-B25ではコンテンツ保護が難しいことが明らかとなった。ダビング10が1ヶ月遅れでスタートしたとはいえ、媒体の寿命を考えた場合に1世代10回のみという制限がユーザーにとって使いやすいか疑問もある。3年後に控えるアナログ停波へ向けて、早急な検討が待たれる。

デジタル放送のコンテンツ保護に関するルール及びその担保手段の在り方について、権利者が安心してコンテンツを提供できる環境整備の観点や ユーザーにとっての使いやすさへの配慮等を踏まえて検討を行い、2008年度中に一定の結論を得る。

Friio対策では法執行の枠組みなど様々な議論があり、受信機規制の可能性について頭の体操を続けている。その過程で受信機規制の歴史を調べていて驚愕したのは、戦前の法制度では通信と放送が既に融合していたこと。大正3年に電信法を無線にも準用することが決まり、NHKの前身となる東京放送局大阪放送局が放送を開始した大正14年、無線を使った通信放送を無線電信法として切り出した。当時は受信機の設置にも免許を要し、日中戦争を受けて1936年には短波ラジオの所有を禁止している。
こういった戦時中の情報統制からの反動もあって、占領期につくられた電波3法では電波法と放送法とを分離して、専ら電波の発射を規制する枠組みとして再構成された。そのため地デジ関連法制を整備するときもFCCがBroadcast Fragで採用した法執行の枠組みは断念せざるを得ず、結果としてFriioのような無反応機を法的に規制できずにいるのである。
そもそも日本だけ基幹放送の受信にスクランブルをかけていること自体がおかしいという意見もあるが、米国の基幹放送と違ってハイビジョン放送で映画やスポーツ中継といったプレミアム・コンテンツも流すことから、特にハリウッドから映画配信の承諾を受けるためにRMPが必要で、当時すでにデジタルテレビに組み込まれていたのがB-CASだったという事情もあるようだ。
諸外国と同様に基幹放送にスクランブルをかけないとした場合、映画やスポーツ中継を地上放送で扱い難くなる虞があるという。個人的には映画もスポーツ中継も多チャンネル放送やオンデマンドの方が選択肢を増やせるし、基幹放送はニュースとバラエティ、ドキュメンタリーとかだけやっていれば構わない気もするが、この辺はテレビ局の考えや、ユニバーサル・サービスの観点も加味した判断を要する。テレビ番組をコピーできるようになったのはいいけど、視たくなるような価値ある番組が流れなくなったよね、というのでは本末転倒だ。とはいえアナログ放送はコピーフリーで事業として成り立っている訳で、本当に複製に対する保護が十分でないと優良なコンテンツを確保できないかは疑う余地もある。
いずれにしても、これまで出荷されたチューナーとの互換性を担保しつつ、コンテンツを保護できるのであれば、ハリウッドもテレビ局もB-CASに拘る必要はないだろうし、Friio対策を考えた場合に取り外し可能なB-CASカードを市場で流通させるよりは、同等の働きをするソフトウェアを搭載した方がコストを低減でき、不正視聴の防止に繋がるとも考えられる。但し鍵管理をソフトウェア化した場合、リバースエンジニアリングで鍵を抜き取られ、B-CASカードなしで自由に受信できるようになるリスクが考えられる。不正に抜き取られて流通した鍵は無効にできるので、必ずしも大きな問題ではないが。この辺はNew RMPとして数年前から議論されているはずだが、結局どうなったのだろうか。またB-CASをソフトウェア化するにしても鍵発行はB-CAS社が行うのか、しばしば私的独占や不当な取引制限といった指摘を受ける現行の運営をどう改善すべきか等については検討を要する。
結局のところ受信機規制の法的根拠がない中で放送コンテンツの複製防止を図ろうとするところに無理がある。そもそも電波法を全て発射規制として整理することで国民の知る権利を守るという発想が時代遅れではないか。情報通信法で現行の電波法・放送法を全面改正するのであれば、著作権保護や通信の秘密を担保するための受信機規制は認める代わりに規格策定の手続きや法執行の透明性を高め、ソフトウェア無線やUWB、ホワイトスペースといった新技術にも柔軟に対応できるよう構成の全面的な見直しを図るべきではないか、とも考えたのだが、ホワイトスペースを考えると電波の発射ではなく混信だけ回避するような構成にすべきだし、電波法の保護法益や、電波を発射しないCATVやIPTVも似たような規制を求められるであろうことを考えると、電波法ではなく著作権法なりで機器ではなく行為を規制するのが筋という気もしてきた。

戦前までは、無線電信法という当時の法律によって、電報や電話などの公衆電信や放送の運用・番組内容について規定し、放送事業を政府の一元的管理統制の下におくと共にラジオ放送を社団法人日本放送協会に独占させ、管理統制していた。戦後はGHQにより放送制度の民主化が進められることになり、1950年、現在の放送法などの電波三法を制定。これにより、民間企業による放送事業参入が認められるようになったと同時に、日本放送協会は社団法人から特殊法人に変わり、放送の普及と社会・公共の福祉の為の放送事業を行っていくこととなった。

古くは、第二次世界大戦(太平洋戦争)中、アメリカが日本(大日本帝国)向けアメリカの声放送(Voice of America、VOA)をアメリカ本土からの短波放送を実施していたが、これに対して日本当局は、これにジャミングをかけた。しかし、1944年、アメリカ軍がサイパン島を占領すると、中波放送を実施した。これは、当時、短波受信機(ラジオ)を所持すること自体が違法であった(1936年3月に「オールウェーブ受信機ノ取締ニ関スル件」が通達されたことによる)が、中波放送ならば、通常のラジオ受信機でも受信出来た為である。
※「オールウェーブ受信機ノ取締ニ関スル件」の通達は、終戦後の1945年10月、東京逓信局から社団法人日本放送協会会長宛て「全、短波受信機ニ関スル件」が通達されたことによって、全ての短波受信施設の禁止措置が解除されるまで続く。

1942年開始のアメリカのボイス・オブ・アメリカVOAアメリカの声放送)、同年開始のソビエト連邦のモスクワ放送、1943年開始のイギリスのBBCワールドサービスがこれに当たる。
第二次世界大戦中のことであり、どちらも敵国日本に対する宣伝を目的にしていた。戦争末期には、アメリカの声放送(VOA)は、空襲予告放送も行い、短波放送を隠れて聴いていた人々は、公表すべきか否かに悩んだという。短波放送の聴取は、法律で禁止されており、短波放送の聴取が発覚すれば、軍法会議で死刑判決が下りる危険性があった。
アメリカ軍は、サイパン島を占拠すると、中波による日本語放送を開始。一般のラジオでも受信できるため、日本はこれに対して妨害電波(ジャミング)で対抗した。