雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

精神に影響を及ぼす表現であっても規制されるべきでない

残虐なゲームが犯罪に与える影響についてはメディアスタディの先行研究が結構あるので、新たに調査・研究したところで大きく結論が変わるとも思えないが。現政権ならそういうことに予算を出すかも知れないし、研究が捩じ曲げられるのでなければ、社会学者の仕事が増えるのは悪い話じゃない。思い込みと勢いで規制するよりは、まず調査・研究するという殊勝な姿勢って大事だよ。

ゲームとこうした事件には関連性がないと主張する人たちもいるが、本当に関係がないのかあるのか、そろそろ日本でも本格的にゲームが精神におよぼす影響について調査・研究するべきではないか。

調べてみないことには影響の有無は分からないけれども、仮にエロゲーと福祉犯との相関とか、残虐なFPSとナイフを使った犯罪との相関とか、そういうのが立証されたとしよう。ゲームだけじゃなくて、例えば戦隊モノ番組といじめの相関とか、クレヨンしんちゃんと児童のコドバの乱れとの相関とか、推理小説と証拠隠滅の相関とか、無頼派小説と自殺・心中の相関とか、有意の相関があってもおかしくない組み合わせって諸々あるよね。そういうことが学問的に立証されたとして、何かしら政策的に措置すべきなんだろうか。
まず表現の自由との兼ね合いがあるので、表現そのものを規制すべきではない。青少年に対して何らかの措置を講じることは違法ではないし、今だってCEROがゲームのレイティング基準を提供している。レイティングに基づいて親が子に遊ばせるゲームを選ぶことは既に一般的に行われている。
そう考えるとゲームとか他のコンテンツが精神におよぼす影響を調べたところで、政策的にできることって既に行われているし、これ以上できることはないんだよね。有意の相関があったとしても、そもそも犯行に走る馬鹿そのものが特異値なのだから、彼ら犯罪者のために世界を息苦しくするのは勘弁して欲しい。そうやって世の中を息苦しくすること自体が、いろんな人々のフラストレーションとなって犯罪を増やすかも知れないし。
毒のある表現って馬鹿が毒当たりを起こして犯罪を誘発することも、カタルシスを提供してガス抜きとなることもある訳で、差し引きどうかって評価は難しいし、社会的影響からコンテンツを評価・規制しようという発想が古いし、優れた表現って人々を動かすくらい毒があってナンボじゃん。そういった意味じゃ表現の自由憲法で担保されているのだし、スルーされるよりは「規制しろ!」とかいきり立つ阿呆オヤジがいるくらいが盛り上がって丁度いいのかも知れないね。