素人としてはタクシーが特別か分からない
タクシー問題懇談会の構造改善計画は興味深く拝見させていただいた。タクシー増車が「共有地の悲劇」のような市場の失敗ではないかという立論は理解できるし、以前からタクシーに対して持っていた諸々の不満が、業界としても議論されていることは心強く感じた。一方で政府が2002年以降の規制緩和を撤廃し、政策的に需給調節すべきかというと異論がある。
流し営業地域で「水揚げの減少を増車で補える状態」に業界を置いたら、みんな増車するんですよ。典型的な囚人のジレンマが発生しますから。同業他社が減車しようと増車しようと、自社が増車した方が得になるゲームのルールが成立してしまうことに気づきませんか? これが公道で営業するタクシーの宿命です。
ひとことに市場の失敗といっても様々な種類があり、或る市場が市場の失敗によって部分均衡に留まっているのか、それとも市場メカニズム自体が働いていないかを外形的に判断することは難しい。市場に任せると失敗するから、政府が需給調整に乗り出した方が事態が改善するとは限らない。
次に歩合制の給与と長時間労働が事故増の要因となっている現実があるとして、それらは必ずしも2002年の規制撤廃によってではなく、1997年から2000年の不況期に悪化したことが指摘されている。規制緩和による増車がタクシー乗務員の収入を直撃したとして、待遇や安全性はそれ以前から悪化しているのである。不況で放り出されたホワイトカラー層がタクシー業界に職を得たところで、サービス品質の低下や事故の増加は始まっており、それは規制緩和以前のことのようだ。
3番目に既存のタクシー乗務員の待遇を維持することと、タクシー乗務員になろうとする人々の雇用を産むこととの価値判断を行政が行うべきかという論点がある。需給調整とは即ち参入制限であり、即ちタクシー業界に入ろうとする人々から機会を奪い、既にタクシー乗務員として働いている人々の待遇を維持すべきということだ。わたしは政府が安全のための労働基準や生活のための最低賃金を定めることの必要性は認めるが、その一線を越えて需給調整を通じた既存労働者の待遇維持に踏み込む立場にはないと考える。
タクシーの増車を共有地の悲劇と解釈することも可能ではあるが、他にもいくつかの問題がある。従業員とタクシー会社との契約は市場で決まるが、タクシー運賃は市場価格となっていない。規制緩和で若干の多様性が出ているとはいえ、大半は上限価格に張り付いている。国土交通省が運賃の上限を規制するから、タクシー業者は価格カルテルのリスクを負わず同一料金を提示できるのである。
なぜ日本で銀座・羽田にタクシーが集中するかというと、豊川氏が以前も指摘されていたように、日本では長距離運賃が割高だからである。首都圏でも大阪のように長距離運賃が競争を通じて割安となるだけで、一部地域での供給過剰はかなり概ね解消されはしないだろうか。そういった価格競争は現行法制で可能なのだが、東京で料金競争が進まない理由がどこにあるか議論を深める必要があろう。
結局のところタクシー業界は景気悪化やライフスタイルの変化のあおりを受けた構造不況業種で、規制緩和が需要拡大の打開にはならず、サービス品質と乗務員の待遇ともに悪化させてしまった訳だ。
人口減や生活スタイルの変化による需要の漸減、現役世代の生活給ではなく年金生活者のパートタイム労働との価格競争による待遇の悪化と従事者の高齢化、規制緩和による供給過剰といった問題は、これからもタクシーに限らず様々な産業で起こり続けるのではないかと懸念している。
そういった意味でもタクシー規制を2002年以前の需給調節に戻すべきか、そうすることでタクシー運転手の待遇が改善されるかは慎重に検討されるべきだ。仮に今のタクシー業界が「共有地の悲劇」を体現していたとしても、需要曲線を念頭に置いた料金カーブの見直しや、労働基準法・最低賃金法の適正執行を通じて、増車を充分に押さえられる余地はあると思われる。本来であれば役所ではなく、業界主導の中で新たな需要掘り起こしや乗務員の待遇改善へ向けた施策が打たれるべきなのだが。