雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

教育政策に期待する事勿れ

勉学に励んで立身出世って構図は何も戦後に限ったものではない。わたしが学歴不信に陥った中学時代、読んで腑に落ちたのは鷗外の『青年』の一節だった。戦前の方が社会全体の流動性は高かったが、学歴のパイプラインと職業とが深く結びついていたのではないか。師範学校を出れば先生になって当然だったように。そして戦後の豊かさへの希求と学歴への期待って文部科学省の意図的な政策というより、高度成長期に学歴差別と消費社会の魅力を実感させられた団塊世代に共通した気分だったのではないか。

利得という「にんじん」をぶらさげて子どもを利益誘導して勉強させることも、あるいは「競争から脱落して社会的落伍者になる恐怖」という「むち」で脅かして勉強させることも、どちらも過去30年間十分に教育行政はやり尽くしたはずである。
その結果、子どもたちは「利得」のめどが立てばできるだけ費用対効果のよい勉強をし、「利得」のめどが立たなければ、端から何もしないというかたちで二極化したのである。

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

わたしの父も母も高卒で、父は金融SEに、母は銀行員になった。息子に残せるものは教育しかないと、休日は随分と勉強でしごかれた。父は算数を方程式で教えるのだが、教育指導要領では方程式を使ってはならないことになっている。親父の解き方じゃ試験でマルを貰えないのにと理不尽な思いに捕われながらも中高一貫進学校に入った。
勉強の利得は「私立に受かれば、いじめられない」と聞かされてきたのだが、それは空手形で実際はいじめられたし、ぶっちぎりトップだった成績はビリに近くなり、通学は片道2時間近くもかかった。生きるのは自分で、自分の選択について人生を通じて責任を取るのは自分でしかない、悔いたところで誘惑を断ち切り勉強し費やした時間は戻ってこないと知った。そして「利得」のめどが立たなければ、端から何もしない道を選んだ。中1の夏に父方の祖父が亡くなった折、葬儀にやってきた父の上司が随分と若くて驚いた。父が息子に学歴学歴と急かす理由が少しだけ分かった。
けれども僕は勉学に励まなかった。その代わり、随分と本は読んだ。僕が嫌いだったのは試験のための勉強であって学問ではない。わたしのいた学校は創立者が「頭脳の資源化」を標榜していたが、日本も人件費が高くなれば加工貿易だけでは立ち行かなくなる、オリジナリティを殺して平準化するような教育でいいのか、それに付き合って後から空手形と知ったって誰も責任は取っちゃくれないのだ。
英語と数学の出来が悪く中学で落第した僕を、両親は苦々しく思ったことだろう。しかし僕はこの時、試験勉強はしなかったが、部活から諸々の大切なことを学び、「利得」のめどとは別の価値観で人生を選び始めていた。知見を広げ、人間とか組織のことで苦しみ、早熟な女友達に劣等感を感じていた。それは再現不可能な個別の人生であって、学校とか教育制度が多少の仕掛けは用意してくれたけれども、偶有的な何かだったのだろう。
偶々いい時代に生まれたもので、ちょうど僕が社会に出る前後から、深刻な不況で証券会社が銀行が潰れ、極端な円高となって、親世代や教師の学歴主義を素直に信じて真面目に生きてきた連中が社会から裏切られ始めた。僕は中学時代からの要領で暗中模索で仕事を覚え、運良く人脈を広げてネットバブルの波に乗り、中途半端な学歴には勿体ないほどのキャリアを積むことができた。これが3年早くとも2年遅くとも違っていただろうから、先見の明があったというよりは単に運が良かったのだろう。
学歴で輪切りにされ豊かさに差のついた団塊世代と違い、ロスジェネ世代は学歴主義を親から頭ごなしに押し付けられ、それを信じて頑張った連中が社会から思いっきり裏切られる様を間近にみて、世の中に対して根強い不信感と諦念がある。人生万事塞翁が馬、こっちにニンジンをぶら下げて近寄ってくる奴は疑っておけ。肩の力を抜いて、まったり生きて、世の中に身を任せればいいじゃない。
だから最近の若い世代が僕らより随分と素直で、授業にも真面目に出て、素直に安定と終身雇用を希求するのをみて、彼らは何故かくも素直なのか不思議で仕方ないし、彼らが無邪気に次々と内定を決めていく様に、ちょっとした既視感と茫漠とした不安を感じていた。彼らが僕らより素直なのは、親が子育て期間に失われた十年に直面して、学歴が物質的豊かさに直結するという信仰を疑い始め、あまり子に自らの価値観を押し付けられなくなったからではないか。だから僕らロスジェネ世代の行き過ぎた学歴不信、立身出世への疑いは、親である団塊世代の学歴信仰の鏡像といえるかも知れない。
仮に物質的豊かさのための勉強というフレームが文部科学省の政策よりは高度成長期を生きた団塊世代エートスであるならば、それは政策転換を待たず崩落する終わった価値観に過ぎないのではないか。一方で公教育として社会から必要とされる人材を育成する点で、工業社会を前提とした制度設計を見直し、現代社会とのレリバンスを恢復することは必要だ。江戸末期に福沢諭吉勝麟太郎のような桁外れの知識人を生み出したのは時代の局面であって江戸期の教育制度ではないはずで、文部科学行政とは切り離して考えるべきだ。時代を動かし得る機会がくれば、自然と確率論的に寸暇を惜しんで勉強した鬼才が世に見出されるだろう。
敢えて今と比べて江戸末期の良かった点を探すとすれば、知識人が江戸ではなく地方に分散し、藩校や私塾の教育理念も千差万別であったから、幕府がどんなに腐って失策を打とうが地域の鬼才の芽を潰さなかったことが考えられる。やれ小学校から英語を教えろとか、携帯を取り上げろとか、英語だけで授業しろとか、実態を無視して画一的な号令を押し付けて教育現場を混乱させるよりも、地方分権で教育指針の策定を地域なり学校に委ね、教育指導要領や教科書検定による規制は緩和して、再び多様な価値観に基づいて教育の在り方を模索できる環境を整えてはどうか。子どものうちから相矛盾した多様な価値観に触れることは自分の頭で考える癖をつける上で極めて重要だし、周辺諸国との紛争事案も減って一石二鳥ではないか。