雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

緩やかな就職と長閑な日々

これ僕が前の会社に入ったときと少し似てるなぁ.違うのはHさんの圧迫面接をパスしたら,最初からちょっとした給料をもらい,保険にも入れてくれたことだ.週に何度か適当な時間に通い,世間話をしていた.パソコンは支給されなかったけど自分の初代VAIO Note 505を持ってきてLANケーブルを借りてネットに繋いでた.自分からいろんな人に話をして,顔を覚えられて,どんなことに興味があって,何ができるか周りに把握されれば,そのうち仕事が降ってくるよとか,そういう話だった.
とりたてて仕事ないし,別にコンサルを引き受けていた溜池山王の会社から歩いて神谷町の事務所に通った.だいたい周りはBSD信者で「KAME万歳.GPL嫌い,目が潰れる」みたいな世界だったから,マイノリティのLinuxユーザーだった僕は,あちこちからpatch引っ張ってVAIOに入れたDebian LinuxIPv6化して「ほーら,ちゃんとRA拾えたぞ」とか「pingが飛んだぞ」とかいって遊んでた.Usagi Projectの立ち上がる少し前の話だ.それが高じてUsagi Projectの手伝いをしたり,Linux IPv6 RPM Projectを立ち上げたりKondara Projectに関わったりした訳だが...
2ヶ月後に焦げたコンサル案件に乗り込んで1ヶ月ちょっとで立て直し「この1ヶ月ちょっと会社に泊まり込みで仕事したんだから,正社員にしてくれ」とゴネたら,給料を見直しPCも支給してくれた.正社員になるとノートPC,デスクトップPC,ルータ,ハブが支給される.自分のセグメントを構築してRIPで経路情報を聞かないとネットに繋がらない.入社して何週間かは自分のセグメントを組み,CISCOの設定をしてBINDとsendmailの設定に明け暮れる,という儀式だったんだけど,ルータの苦手な僕は3ヶ月もCISCO 2620を棚さらしにしていたら取り上げられてしまった.自分のセグメントが要らないひと向けに社内LANをつくろうという話が出たのはその半年後くらいだが「自分でルータやサーバの設定をできない技術者を会社として受け入れるべきか」などという議論で紛糾した記憶がある.グループウェア入れるときも,確かCybozuが「UNIX上のテキストブラウザから使えない」という理由で却下され,Iさんがwhoisベースのスケジュール管理システムを構築したんだっけ.
結局ぼく以外に,在学中に緩やかな就職をした人間はいなかった.ひとり新卒で入ってきてインターンに来たひとがいたけど.4年半の間ずっと最年少で,年若だけど古株みたいな奇妙な立場で世相を嘆くことが多かった.なんか今も似たような立場で似たような嘆き方をしている気がするのは気のせいですかそうですか.

その話によれば、その会社に通うことを希望した若者は、机とパソコン、そしてネット接続を提供される。原則として毎日通ってくるように言われるが、もちろ ん拘束はない。給与も出ない。1日中パソコンで遊んでいてもいいが、社員プログラマーから少しずつプログラミングの基礎を学んで、一定の時間経過後にその スキルを認められれば就職と、そういう仕組みだ。若者にしてみれば、コンピュータの専門学校に行けば高額の授業料がかかるところが、無料で技術が学べ、就 職までできる。会社側としてみれば、一発勝負の面接で決めるよりも、長い期間その人物を見ることができるので、安心感があるという。